他力本願(たりきほんがん)とはどんな意味か知らないと叱られるかも?
言葉の意味というものは、
年月とともに変わることがありますが
これもそういったものの
ひとつと言えるでしょう。
他力本願(たりきほんがん)
あまりよくない態度として
使われますが、
じつは本来の意味はまったく違います。
このことを知らないと
思わぬところからお叱りを受けるハメに
なるかもしれません。
なので、
日常生活で使うかどうかは別にしても
他力本願とはどういう意味なのか
知っておいたほうがいいでしょう。
もともとは誤用だった?
このブログは、基本的に
言葉の本来の意味を大切にしていきたい
と思っていますが
今回は新しくできたほうの使い方から
紹介させていただきます。
いっぱんに、
他力本願(たりきほんがん)とは、
ものごとを自分ではやらずに、
他人をあてにすること、
という意味で使われます。
![人にばかりやらせる](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2016/02/GREEN_YO20140125_TP_V-300x199.jpg.pagespeed.ce.-z7B7Ejsac.jpg)
「あいつは何にもやらない、
他力本願でやっている人だなあ」
といった使い方です。
すぐに人に頼ってしまう人って
どこにもいますからね。
そういった人のことをあらわします。
また、まれに自分で
「私は他力本願でやってきたものですから」
と、謙遜して言う場合もあります。
この場合、
「いろいろな人に助けてもらってきました」
と、感謝の意味が
こもっていることになります。
こちらは良いことになりますね。
ただ、これらは
本来の使い方ではないのです。
![おどろく](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2016/02/OOK161103346_TP_V-300x200.jpg.pagespeed.ce.3XJ5AoqhfS.jpg)
あえて最初に述べたのは
すでに辞書にものっていて
定着してしまっているからですが
もともと他力本願とは仏教用語で、
次で述べるような意味があります。
じつはこういう言葉
本来「他力」とは「他人」ではなく
阿弥陀如来(あみだにょらい)の力をかりること。
阿弥陀如来とは仏さまの先生のような
とてもありがたい存在です。
「本願」とは人々が仏となろうとする願い、
仏教においては大事な教えで
安易に人の力をかりるような意味とは
まったく違うことになります。
![お坊さん](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2017/10/obousan-300x225.jpg.pagespeed.ce.lQlQBoBQKi.jpg)
ちょっとむつかしい話ですが、
ようは、他力本願とは
本来ダメな人をあらわすものではない
ということですね。
これを知らずに
「人まかせ他人まかせ」
という言い方ばかりしていると
仏教にたずさわっている方々に
失礼なことになってしまいます。
じっさいに、公の場で
「他力本願」をダメな意味で使ってしまい
抗議を受けたという話もあるので
使い方には注意がいりますね。
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類語はあるのか
まあ、みんな使っていますし
辞書にものっているくらいなので、
問題ないとは思いますが
どうも、こういった話を聞くと
「他力本願とはダメな人」
という意味で使いにくくなります。
![使いにくい](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2016/02/IMARIC20160805210023_TP_V-300x200.jpg)
それでは同じような言葉が
あるのかというと、慣用句としては、
これといったものはありません。
このことが
「他力本願とは人まかせ」というのが
世間に広まった理由のひとつだと思いますが
なにも慣用句をつかわずとも
人まかせ
他人まかせ
他人依存
といった言い方ができます。
また、仕事を人にまるごと
まかせるという意味では
丸投げ
という言い方もあります。
使う使わないは
もちろん個人の考え方次第ですが
すくなくとも大勢の前で
「私は他力本願の人が大っ嫌いなので
なんでも自分でやっていきます」
なんて言い方はしないほうがよさそうですね。
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