釈迦に説法の意味と使い方、恥ずかしいことにならぬように
これはウッカリするとやってしまいそうで
しかもやってしまうと
とても恥ずかしいことです。
釈迦に説法(しゃかにせっぽう)
仕事で新しくやってきた人に
ものを教えないといけない時など
肝に銘じておく必要があるでしょう。
また、その意味から
使い方は主にふたつありますので
それについても述べていきます。
どういうことか
釈迦に説法とは
とても詳しい人に、ものを教えている
という意味です。
![教える](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/OOK82_konoshiryoudouomou201-225x300.jpg.pagespeed.ce.3FwmiLYEdh.jpg)
お釈迦様は仏の道を説いた人。
その方に向かって教えるなんて
「自分はお釈迦様よりも仏の道に詳しい」
といっているようなもので
勘違いもはなはだしいことになります。
例えば高校で、
新入部員に得意になって技を教えていたら
実はその新入部員は、中学時代、
全国大会に出るほどの持ち主だった、
といった場合。
もちろん自分が高校の全国レベルの実力なら
問題ないですが、それほどでもなかった場合、
教えている相手のほうが上手かったりします。
これは、傍目から見ればとても滑稽な様子。
こういったことを釈迦に説法と言います。
![恥ずかしい](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/hazukashii-300x225.jpg.pagespeed.ce.B75Oe9gqgy.jpg)
使い方は主にふたつ
意味としては、先ほど述べた通りですが
実際の使い方としては、つぎのようになります。
ひとつめは
自分よりよく知っている人、上手い人に
ものを教えている愚かさを例える時。
![やってはいけない](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/N112_cyekusuru_1_TP_V-300x200.jpg)
新しく入って来た社員が
超一流の営業マンだったとします。
ここで、中途半端な実力しかない人が
新しく入って来た人だからと、
その超一流の人に営業のイロハを教えていた場合、
「その人に営業を教えるのは
釈迦に説法だから止めたほうがいい」
というように使います。
もうひとつは
とても詳しい人に、
ものを教えないといけないときに
謙遜してものを言う場合。
![謙遜](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/shazai-300x225.jpg)
例えばあなたが、
先ほどの超一流の営業マンに
この会社のやり方を教えることになったとします。
その人は、この会社についてはまだ良く知らないため
自分が教えないといけませんが、
営業の実力そのものは相手のほうが上だった場合、
とても教えにくいものです。
こんなとき
「あなたに教えるのは釈迦に説法ですが…」
といった風に付け加えると、
相手に失礼のないように教えることができます。
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この言葉が大事なわけは
釈迦に説法の意味自体は
特にむつかしいものではありませんが
なぜこれが大事なことかというと
つい、自分よりも詳しい人、
相手が知っていることを
教えてしまいそうになることがあるからでしょう。
例えば、物事に少し詳しくなったときは
ちょっと嬉しくなって、
それを誰かに教えたくなるものです。
![得意になる](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/DANDA170629g_TP_V-300x158.jpg)
そんなとき、となりに誰かがやってきたら
つい得意になって教えてしまったりしがちです。
相手の力量もたしかめずに。
小さな幼稚園児が大人相手に
「電車ははやいよー」と
覚えたてのことを教えてるような感じですね。
この場合、大人は幼稚園レベルのことを
教えられていることになりますが
「電車がはやいのくらい知っているわ!」
と、普通は怒ったりしません。
まあ、幼稚園児のいうことだからと思いながら
「へえ、そんなことを知っているんだ、すごいねー」
とニコニコ笑っていることでしょう。
これと同じで、相手が達人レベルの実力者の場合、
あなたがウッカリ中途半端な知識を
ひけらかしたとしても、
本気で怒らないことが多いです。
「なるほど、そうなのですね」
みたいな感じで流されたりします。
![静かにしている](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/MAX85_frenbr20141025162801_-300x200.jpg)
このため、
自分が釈迦に説法の愚を犯していることに
気が付かなかったりします。
得意になって誰かに教えているときこそ
この言葉の意味を思い出してみるといいでしょう。
それともうひとつは
相手が本当に達人かどうか分からないとき
ですね。
能ある鷹は爪を隠す、というように
本当に実力がある人は意外と静かなものです。
なので
「この人何にもいわないけど、知っているのかな?
それとも知らないから黙っているのかな?」
なんてことになるのですが、そういった場合でも、
「もしかすると釈迦に説法かもしれませんが」
と話を切り出すと、
仮に相手が知っていることを話してしまっても
問題ないでしょう。
このように、釈迦に説法とは
知っている人に教える愚かさを戒める意味だけでなく
人間関係に役立てる使い方もあります。
![人間関係を良くする](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2017/07/N112_penwomotujyosei_TP_V-300x200.jpg)
似た意味のことわざには
孔子に悟道
極楽の入り口で念仏を売る
河童に水練
猿に木登り
などがあります。
よくよく見ると、へんなたとえばかりですね。
面白いので、別記事でまとめてみました。
釈迦に説法の類語はへんなのばっかり
英語の表現はこちら。
釈迦に説法は英語だとこんな言い方に
こちらも面白いものがあります。
たまにはこういった、たとえを使うのも
よさそうですね。
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