人事を尽くして天命を待つにはこんな深い意味があります

これは、好き嫌いが別れそうですが、
私はよいことわざだと思います。

人事を尽くして天命を待つ
(じんじをつくしててんめいをまつ)



ちょっと聞いただけでは
何を言いたいのか分かりにくいですが、
よく考えると奥が深い、スルメみたいな言葉です。

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直接の意味はこれだけですが…


人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)とは
できることはすべてやり、
そのあとの結果は運命にまかせる、ということです。


分かりにくいですか。

ようするに、やるだけやったら、
あとは運にまかせる、という意味です。


だからなんだって?

そうなんです、このことわざのは
急がば回れ猿も木から落ちるのように
分かりやすく何かを教えてくれている、
というものではありません。



天命とは、天に与えられた命令、
神さまが「おまえはこうなるのだ」と
決めたこと、というような意味です。



したがって、これだけでは、
どうするべきなのか分かりにくいばかりか

「どうせいくら頑張っても
神さまにダメと言われたらそれまで、
あーがんばるのやめやめ」

みたいな、たいへんよくない意味に
とられかねません。
もちろんそんなことないですよ。
そんなことわざなわけないじゃないですか。


ではどういう意味なのか?
もう少し考えてみることにします。


人事をつくせば、こんな変化が!


私が「人事を尽くして天命を待つ」
ということわざが好きな理由のひとつは

やるだけのことをやり尽くせば
結果がどうなろうとも悔いが残らないもの、

このことわざは、
それをあらわしているように感じるからです。


以前見た、ドキュメンタリー番組で
こんな話がありました。


ふたりの男が、雪山登山をしますが、
そのうちのひとりが、ガケから落ちて
動けなくなってしまいます。

そこで、もうひとりの男が、
助けに行くのですが、
そのままふたりとも道に迷ってしまいます。


雪山で右も左も分からず、
どうにもならない状況なのですが

「こんなところで死にたくない」
「絶対に帰る!」


と、骨折して動けない仲間を背負いながら
いっしょうけんめい山を降りようとします。


しかし、深い雪にはまりこんだり
穴に落ちたりして、なかなか進めません。

次第に体力がなくなっていき、
そのうち歩くこともできなくなりますが、
それでも斜面を転がり落ちながら
少しでも下にいこうとします。


そして最後には、広い場所に転がりついて
完全に動けなくなります。


「もう、やれるだけのことはやった」

あとは雪に囲まれたまま、
あお向けになって空を眺めているしかありません。

ここまで担いできた仲間と
なすすべもなく時間がたつのを待つのみ、
しかしそこに、空から捜索にきていた
ヘリコプターに発見されて助かります。



人事を尽くして天命を待つとは
こういうことではないかと思います。


この男たちは最初、
「こんなところで死ぬのはイヤだ」
みたいな感じで、必死になっていましたが、

最終的には、
「やれるだけのことはやった」
という心境に変化しています。


最終的にヘリコプターが来てくれるかどうかは
自分たちではどうしようもできないことですが
少しでも発見されやすい場所に移動するのは
自分たちでできることです。


そして、力のかぎり動いたからこそ
「できるだけのことをやったのだから
これで助からなかったらしょうがない」
という覚悟ができたのだと思います。



うまくいく、いかないは最終的には運しだい、
つまり天命という部分もありますが
結果はなんであれ、悔いを残さないという点でも、

やれるだけのことはやる、
つまり、人事を尽くすというのは
大事な意味があるんじゃないかと思います。

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不安から解き放たれるために


もうひとつ、
人事を尽くして天命を待つ、
これを実行する意味として、

しっかりと出来ることをやれば
それが自信になって、あわてない、

というのがあると思います。


どんなことでも、やっていることが中途半端だと
「出来るかな? 大丈夫かな?」
と、オロオロしがちです。

しかし、たいていの場合、
不安にかられた行動というのは
ロクなことがありません。



それ以上やっても無意味なのに
あせって無茶な練習をしてケガをしたとか、
心配しすぎて眠れなくなって
試験の当日寝不足で失敗したとか、

恋愛でも、そのままでうまくいくのに
不安だから相手の浮気をかんぐりすぎて嫌われたとか。

不安が原因で失敗した例は、いくらでもあげられそうです。

なんでそんなに失敗の例が
スラスラと出てくるのかは聞かないでくださいね。
失敗は成功のもと、ということにしておいてくださいね。


まあとにかく、そういった失敗をしないため、

「しっかりと勉強したのだから、大丈夫」
「これだけきっちり練習して
うまくいかなかったら、もうしょうがない」


というところまで、やれることをやるのは
自信をつける意味でも大事だと思います。


それでも大丈夫かな? というときに
「人事を尽くして天命を待つ」
ということわざを思い出すといいでしょう。


こんな解釈はおかしいのでは?


このことわざが嫌いという人は
「人事を尽くして天命を待つ」の
天命を待つ、という部分が
いかにも運まかせで、やる気がないように
感じるからじゃないかと思います。


たしかに、かならず成功してみせる!
という意味ではありませんからね。


しかし、そもそも
がんばれば、かならず成功するようなことに
このことわざを使うべきではないと思います。



もちろんこのことわざの意味はあくまで
やれるだけのことをやって、運命をまつ。
というものなので、それをどう解釈するかは自由かもしれませんが、

合格が確実な受験や、必ず勝てる試合などは
「天命を待つ」なんてこと言ってないで
油断せずに気合いいれとけよ、という話です。



しかし、何をどうやっても
大丈夫かどうか分からない、というケースが
人生にはあるもの。


雪山で遭難したなどという
極端なケースでなくても、

自分にとってレベルの高い受験、
あきらかに相手が強い場合の試合、
大勢の前でやる舞台演技など、


いくらがんばっても
成功できるかどうか分からない、
それでもやらねばならん、という局面があります。

こういうのはかっこいいですね。
まあ恋愛なんかも、多くの場合そうですね。


でも、見た目にはかっこよくても、
いざやるとなったら
不安でひざがガクガクしたりするものです。

そんなときは
ともかくやれるだけのことはやっておく
そうすれば、あとの結果は
覚悟を決めて受け入れられる、


それが、人事を尽くして天命を待つ
ということの本当の意味ではないかと思います。


まとめ


ということで、
人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)とは

やるだけのことはやって、
あとは運命にまかせる、という意味です。



考えてみると、ああだこうだと心配したり
オロオロするときって、
たいてい大したことをやっていなかったです。

そういうときは
できることを、できる限りやってみる
というのが大事なんでしょうね。


そうすれば、不思議と腹がすわってきて
あんまり動じなくなります。


まあ、
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
といいますし、
むやみやたらと頑張ればいいというものでもないですが、

それでも、そういったことを含めて
「これでベストをつくした」と
自分がとことん納得できるまでやっていくと

天は自ら助くる者を助く(てんはみずからたすくるものをたすく)
と言うように、なんとかなるもの、

また万が一、思うようにいかなくても
自分が「これ以上はもうできん」
というところまでやりぬいた記憶は
未来の自分に、大きな自信を与えてくれることでしょう。

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