魚心あれば水心の意味、悪い使い方ばかりじゃない!
これはとても分かりにくいことわざです。
意味も分かりにくければ、
使い方も分かりにくい。
魚心あれば水心
そもそも、「魚心」「水心」って何?
という話ですからね。
そして、なぜか良くない言葉として
考えられることも多いですが
本来そういう意味のことわざではありません。
どういう意味か
魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)とは
誰かのことを考えてあげれば、
その相手も同じように考えてくれる、
ということです。
親切をしてあげれば、相手もその気持ちに応えて
親切を返してくれるものだ、という意味ですね。
これはもともと
魚、心あれば、水、心あり、
ということわざで、
魚に水を思う心があれば、
水だって魚のことを考えてくれるよ。
という意味で、これが略されて
魚心あれば水心、となりました。
いや、略すなよ、って話ですね。
おかげで全然分からないじゃないですか。
なんか、
「魚にも水にも心がある、
だから世の中のあらゆるものを大事にしなさい」
みたいな意味かと思っていましたよ。
日本の神話には、そういう話が多そうですし、
八百万神(やおろずのかみ)みたいに
あらゆるものに神が宿っているみたいな話に
関係があるんじゃないかと勝手に想像していました。
それとも昔にも、なんでも略す
若者言葉みたいなのがあったのでしょうか。
「魚心あれば水心マジやべー」
「サイコーじゃん」
みたいな感じで。
えらい真面目な若者ですね。
まあ言い方はこうなってしまった以上
もうしょうがないのですが、このことわざ、
使い方も、なぜか悪い意味として
言われることが多いです。
それはなぜか?
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なぜ悪いイメージになったか
魚心あれば水心、これは先ほど述べたように
よい意味の使い方ができるものです。
互いに親切にしようということになるのですから。
ところが、このことわざ、
どういうわけか
「魚心あれば水心というからね、
君の気持ちを期待しているよ」
みたいに
まず相手が好意をしめしてくれば
こちらもよい態度で接してあげるよ、という
ギブアンドテイクというか
相手に何かを要求するような
使い方をされることが多いです。
これはおそらく、時代劇などで、
悪代官が賄賂を要求するシーンで
使われることが多かったからでしょう。
「魚心あれば水心、というからのう、
よろしく頼むよ、ふははは」
「へへへ、お代官様、お任せください
こちらの金のまんじゅうを……」
「ぐふふ」
といった使い方ですね。
これでは不正役人と悪徳商人の
なれ合いをあらわす意味になってしまいます。
そのほかには八百長の依頼とか
とにかくロクな使い方をされないことわざでした。
それで、どこか良からぬこと、
そこまでいかなくても
相手に強気に要求するような使用例が
多くなったのでしょう。
時には強気な発言も
しかし、場合によっては
そのような強気な発言が必要になる場合があります。
それは相手がとても厚かましかったり
ずうずうしい頼みばかりしてくるとき。
そんなときは
「魚心あれば水心、というから
そんな一方的な要求ばかりは聞いていられない」
こんな感じで、ぴしゃりと言うことも必要でしょう。
親切にするのは良いことですが
それを利用して不当な要求をしてくる人には
毅然とした態度でのぞむことも大事です。
まあでも、このことわざが
そのような厳しい意味ばかりで考えられるのは
少々さびしい気もしますので
できるだけ相手のことを
思いやることも考えたいものですね。
なお、「水心あれば魚心」と
反対に言うこともあります。
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