五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)の意味は由来まで知ると分かりやすい

このことわざも、よく耳にすることがあるでしょう。

五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)


よく使われる言葉なので、
とくに勉強していなくても
いつの間にか意味を知ることになるとは思います。


ただ由来まで知っている人は
少ないでしょうから、それについても、

さらに疑問に感じそうなところ、
類語についても述べていきます。

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どんな慣用句か


五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)とは、
どちらも大した違いはなく、
似たようなものだ、という意味です。



ここでの似たようなものというのは
「どちらも同じくらい、すばらしいよ!」
という立派なことではなく

「どっちもつまらなく、くだらない、ダメなものだ…」
という、悪い意味での使い方をします。



たとえば5分遅刻した人が
10分遅刻した人にむかって

「10分も遅れやがったな、でへへー、
おいら5分しか遅れなかったよ、うひょひょ」
とか言って鼻水たらしながら笑っていたとしたら

そりゃ
「お前だって遅れてきただろうが!」
となりますが、こういうときに
「五十歩百歩だ!
どっちも似たようなものだよ」

という使い方をします。


読み方についてですが、五十歩百歩を
「ごじゅっぽひゃっぽ」
と読む人が多いでしょうけれども(普通はそう?)、

じつは辞書には
「ごじっぽひゃっぽ」
と載っていて、本来の読み方はこちらです。



まあ誰かが「ごじゅっぽ」と言ったとしても
「それは本来の言い方ではない!!」
と血まなこになって訂正するほどの
ものでもないでしょうけれでも、

ぎゃくに「ごじっぽ」と言ったときに
「お前、なんだその言い方は?
古めかしいなあ、ワハハ、ワハハハ、ヒー」

なんて言ってしまうと
こっちが恥ずかしい思いをするかもしれませんので、
本来の言い方は知っておくといいでしょう。

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五十と百って全然ちがうんじゃないの?


すでに広く知れ渡っている
慣用句ですから、いまさら疑問にも
思わないかもしれませんが
よく考えたら、五十と百って、全然ちがいます。


こまかい話といえばそうですが、
でも、テストで百点満点とったのに

「五十歩百歩だ」

と言われて五十点とおなじ扱いを受けたら
あたりまえですが、それは納得できないわけです。


これについては、この慣用句の
由来まで知ると、よく意味がわかります。

それは次のもの。


かつて中国に梁(りょう)という国がありました。
そこの恵王(けいおう)という人物が

「わたしはいつも、
人々のことを考えて国を治めているのに、
なぜわたしの国には人が集まらないのだろう?」

と疑問に思い、孟子(もうし)という、
えらい人に相談をしました。


すると孟子は

「では戦いのとき、五十歩逃げた者が
百歩逃げた者を笑ったら、どう思われますか?」


と恵王にたずねました。

「それは五十歩だろうと百歩だろうと
逃げたことには変わりないから同じだ」


と恵王が答えると、孟子は

「そういうことです。
つまり他の国よりはよい政治をしていても
いまは凶作で食べるものが少なく
人々が苦しんでいることには変わりありません」


つまり、
苦しい思いをしている人々にとっては、
その違いに大差はないということで、
これが五十歩百歩の由来です。


逃げた、という時点で
すでに敵と戦うのをやめているわけですから、
そこから五十歩逃げようと、百歩だろうと
その歩数の違いに意味はないということで、


五十と百の、数の違いがどうこうではなく
この場合、数字そのものを比較すること自体、無意味ということですね。


類語について


五十歩百歩の類語は、わりとありますが、
もっとも意味が近いのは

目糞鼻糞を笑う(めくそはなくそをわらう)
団栗の背比べ(どんぐりのせいくらべ)


でしょう。
どちらもたいしたことない、
たいした違いはない、ということわざです。
人に使う場合は注意しましょう。


また、
大同小異(だいどうしょうい)

というものもあります。
こちらは良い悪いはべつにして
たんに「あまり違いがない」という意味でも使われます。

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