一日千秋の思いの意味と読み方、なぜ秋なのか

「わたしは風を待っている」

こんなことを言うだけで、
なんとなくカッコウがつく、
魔法のような「待つ」ということば、

この「待つ」と関係が深いのが

一日千秋(いちじつせんしゅう)


別にかっこうつけた使い方だけでなく
日常的な出来事にも使いやすい慣用句なので、
ぜひ知っておくといいでしょう。

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意味はこうです


一日千秋(いちじつせんしゅう)とは
なにか(人やものなど)が、とても楽しみで、
待っている時間が長く長く感じること、

という慣用句です。


具体的な例は、出すまでもなく
だれしも体験していることだと思います。

子供のころの学校の遠足、夏休み、
仲の良い友達と遊ぶ約束の日などは

とても待ち遠しいものです。
子供のころというか、大人になってもそうですね。

そして、
はやくはやくと思っていると
なかなか日がたたないものです。



こういうときに
「一日千秋の思いで待つ」
ということができます。



「千秋」とは、そのままの意味で
秋が千回、つまり千年ということで

「一日千秋」は
一日が、まるで千年くらい長く感じる、
ということになります。



本当に千年生きている人はいないでしょうから
じっさいには
「一生待ってもこないんじゃないか、
というくらい長く感じる」

という意味とも考えられるでしょう。


読み方が分からないんだけど


一日千秋の思いというときに
ちょっと迷うのが、

「いちじつせんしゅう」
「いちにちせんしゅう」


どちらの読み方をするか、です。


辞書を引くと、だいたい
前者の読み方が書いてあるので
こちらが本来の読み方なのでしょうけれども
後者も間違いではないようです。



こういう場合、
「辞書に書いている通りに読めばいいじゃない」
ということになると思いますが

慣用句としてならともかく
ふつうの感覚としては
「一日」を「いちじつ」とは読まないです。


なので、意味が通じにくそうだったら
「いちにちせんしゅう」といったほうが
分かりやすいかもしれません。

ただ、テストなどでは
辞書に書いてある通りの書き方が無難でしょうし、


年配の上司や先生などは
古風な言い回しを好む方が多いですから
「いちじつせんしゅう」という読み方も
覚えておいたほうがいいでしょう。


なんでこんな読み方になったのかは
正確には分かりませんが

おそらく「一日千秋」という慣用句の由来が
中国の古典である『詩経(王風・采葛篇)』
から、きている
からではないかと思います。


中国由来の言葉は、現在の日本とは
違う読み方をすることが多いので、
「なぜこんな意味の分かりにくい読み方なの?」
ということはけっこうあります。

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どうして「秋」なのか


もうひとつ、読み方ほどではないのですが
気になるのが

「どうして秋なのか?」


もちろん、秋が好き、という人には
待ち遠しいに違いありませんが、

なんとなく、こういうのは
あたたかく、新学期でもある春のほうが
イメージに合っているのでは?
という気もします。


これはおそらく「秋」という漢字には
時をあらわす意味もあるからでしょう。


たとえば、
危急存亡の秋(ききゅうそんぼうのとき)のように、
秋を「とき」と読むこともあります。

したがって「一日千秋の思い」も
季節ではなく、時をあらわす意味と
考えることができます。


また、
秋と言えばお米などの収穫の季節です。

一年中すきなものを食べられる現代と違って
むかしは収穫の季節である秋が
いま以上に待ち遠しかったのでしょう。


そのためか、むかしは秋を基準にして
一年のすごしかたを
考えていたことも多かったようです。


類語はこれ


同じ意味の慣用句には

一日三秋(いちじつさんしゅう)

というものがあります。

というより、もともと中国では
このように言っていたのが、
日本で一日千秋と変化したと考えられてます。


ひとめで同じ意味と分かりますが、
よく考えると三年と千年では、かなり違いますね。

それを同じものとしてあつかうとは、
慣用句というのも、
なかなかおおらかなものです。

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