杞憂の意味は簡単でも由来は面白く、使い方もさまざま
その意味を知っていても
由来まで知っている人は
少ないんじゃないでしょうか。
杞憂(きゆう)
すっかり日本語として定着していますが
よく字を見てみると
なんだかよく分かりません。
「杞」って何?
この「杞憂」の意味と由来、
使い方について述べていきます。
どんな言葉?
杞憂(きゆう)とは、起こることのないこと
必要のないことを心配すること。
取り越し苦労と同じ意味です。
![心配する](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/PAK86_kusoyarareta20140125_TP_V-300x200.jpg)
「憂(ゆう、うれい)」は
心配する、案ずるという意味の漢字です。
これは分かりますが、では「杞」は何か?
「杞(き、こ)」は漢字の本来の意味としては
植物である柳の一種のことですが、
ここではそれは関係なく
古代中国にあった国の名前です。
この、杞の国に住んでいた、ある人が
「天の空が崩れ落ちてきたらどうしよう」
と心配していた、という話が
『列子』という文献にあります。
ここから、
起こることのないことを心配することを
杞憂というようになりました。
現在の常識から考えると
空が落ちてくるなんて、考えられませんね。
何を考えているのでしょう、
と思いそうですが、何しろ
杞の国があったのは二千年以上も前。
![夜空](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/OHT99_bieihosizora_TP_V-300x200.jpg)
このころは、科学も天文学も
今とは全く違っており、
空は巨大な天井だと考えられていたので
このような心配をする人もいたのでしょう。
なので由来を聞くと、ばかばかしい、
と思われるかもしれませんが
当時の時代を想像すれば、
杞憂という言葉の意味も理解しやすいですね。
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どのような使い方をするか
この杞憂というのは
わりとよく使われる言葉で、
なかでも一番多い使い方は
「杞憂に終わる」でしょう。
つまり心配していたことは
実際には起こらなかった、という意味で、
安心して、ほっとしながら
「今年はお店の売り上げが
落ちるんじゃないかと思っていたが、
杞憂に終わってよかった」
といったような使い方をします。
![杞憂に終わる](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2015/12/max16011556_TP_V-300x200.jpg)
また、心配している人を安心させる意味での
使い方もよくされます。
「そんなことは杞憂だろうから、安心しなよ」
という感じですね。
もちろんこれは、本当に杞憂に終わるかは
ことが済んでみないと分からないのですが
あれこれ心配ばかりする人には
効果的な言葉でしょう。
現在では天が落ちてくる心配をする人は
まずいないでしょうが、
例えば少し前に話題になった、
「オリオン座のベテルギウスが
超新星爆発を起こして、それが原因で
地球が悪影響を受けたらどうしよう」
みたいな、考えてもどうしようもないことを
考えている人にも
「そんなことはどうせ杞憂に終わるだろうから
心配しなくてもいいよ」
と言ってあげるといいですね。
しかし未来のことは分かりませんから
「杞憂に終わる」の別の使い方としては
本当に大丈夫なのか疑うとき、
「これは果たして杞憂に終わるのか」
というように言うこともあります。
![大丈夫か?](http://kotowaza-kanyouku.com/wp-content/uploads/2017/08/YUKA150701098458_TP_V-300x200.jpg)
転ばぬ先の杖といいますから
対策を立てることも時には大事ですね。
対策を立てて、
本当に取り越し苦労に終わったのなら
それはそれで結構なことですし。
「杞憂に終わるかもしれないが
念のため、これをやっておこう」
という使い方もよくされます。
このように、杞憂とは
余計な心配をする人を安心させる、
逆に何も心配しなさすぎる人に注意を喚起させる、
どちらの意味での使い方もできます。
意味を知っていても由来までは
なかなか知っている人はいませんから
先ほどの中国の故事も話してあげると
より説得力が増してくれそうです。
また、「杞人の憂い」ということもあります。
まあ、同じ意味なんですが、
なんとなく趣を感じさせる言い回しですね。
「あの人の心配は、杞人の憂いのようだ」
なんて使い方をしてみるのも面白いかもしれません。
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ちょっと気になったところがあったので自分の意見を述べさせてもらいます。
「杞憂」の話は、杞の国が戦場になる事が多く、杞人には明日も保障されなかったという事を端的に比喩したものだと私は解釈しています。
古代中国史を志す者として、「杞憂」がただの「杞人が馬鹿なことを言った話」と思われることはなんとか避けたいと思い、コメントさせていただきました
コメントありがとうございます。
杞人が馬鹿なことを言った話になってほしくないのは、私も同感ですね。
私の考えですが、地動説が常識となっている現代とちがい、
空が巨大な天井と考えられてたであろう昔において、
それが落ちてくるかもしれないという心配は、
とくにおかしなものではなかったと思います。
杞憂とはあくまで「起こることのない心配」ということで、
「馬鹿な心配」という意味はないでしょうから、
こんちゃんさんの解釈であればもちろんのこと、
たとえ「空が落ちる心配」と解釈しても、
とくに杞人が馬鹿なこと言ったということにはならないのでは? と思います。