無知の知の意味とそこから見つかる新しい発見とは

「何か分からないけど上手くいかないことがある」

もし、このようなときには、この言葉が役に立つかもしれません。


無知の知(むちのち)


無知の知(むちのち)


辞書的な意味だけだと、やや堅苦しい、ちょっと説教じみた話で終わりそうです。

しかし、いくつかの本を読むと、おもしろくて実践的な言葉に感じます。


忙しくてなかなか思うことができない私に大きな力をくれた言葉です。

今回はこの言葉についてです。





基本的な意味はこれ



その「辞書的な意味」としては、

無知の知は「自分は何も分かっていない」ということを自覚する。

ということになります。


私たちはいろんなことを知っているようで、それらの多くは「知っているつもりになっているだけ」ということですね。

分からない


何かについてそれらしく語っているけど、なんか薄っぺらい、本当はよく分かってないんじゃないかという人をたまに見かけるかと思います。そういうのを思い浮かべると分かりやすいでしょう。

それが何かのきっかけで「自分は本当はよく分かっていない」と自覚するのが無知の知ですね。


まあこうやって人ごとのように話している自分も、いろんなことをよく分からないまま得意になっているというのは、いかにもありそうな話ですが、それはいったん置いておきます。

あとで嫌というほど向き合いますので、いまはとにかく置いときます。一気にやるとしんどいですから。


それはともかく、ほかにはスポーツ漫画なんかでよくあるものとして、少し強くなった主人公がいきなり現れた強力なライバルにこてんぱんにやられて落ち込む、なんてシーン。

これも「自分はそんなに強くなってなかったのを自覚した」と言うことで、無知の知の一種といえそうです。


これは次の話が由来です。


由来とそこからくる考え


無知の知は次の話からきています。


古代のギリシャの哲学者ソクラテスが、当時の知識人や賢者と呼ばれる人たちと話をしました。

しかしそれらの人々は、いろんなことを知っているようで、実は何も分かっていなかった


ソクラテスは自分も何も分かっていないけど、

「少なくとも自分は自分が無知なことを自覚している、だからその点において少しだけすぐれている」

このことに気づきました。

これが由来です。

気づく

古代の哲学者の話なので、この「無知の知」はことわざや慣用句というよりも哲学用語といえます。

ソクラテスが「無知の知」と言ったのではありませんが、彼の生き方をあらわす言葉として知られています。


ここからくる考えとしては、おそらく「人間うぬぼれやすいので、常に謙虚さや向上心を失わないようにしましょう」となり

実るほど頭をたれる稲穂かな
初心忘るべからず

といったことわざに繫がっていくことでしょう。

古代ギリシャの哲学から日本のことわざに繋がるのはとても興味深いです。


とはいえ、言うは易しとはまさにこのことで、「常に謙虚さや向上心をを失わない」のは、大切と分かるんだけど、実際はなかなか難しいものです。


さっきも言ったとおり自分も分かっていないことはおそらくあります。

しかし一番の問題点は、自分はしっている「つもり」になっているので、本当は知らないということをどうやって自覚するのか、ということです。

人のことを「あいつ分かっていないなあ」というのは簡単ですが、自分はどうかと考えると途端にこの「無知の知」は実践するのが難しくなります。

このやり方を発見するのがこの言葉の醍醐味です。


これについて興味深いことを書いてある本がありましたので、続きで書いていきます。


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自分は思ったほど「知っていない」?


そもそも「知っている」とはどういう状態なのか。

もちろん私たちはいろんなことを見聞きして生活しているので、生きていけばいくほど、単純に知っていることは増えていくでしょう。


しかし次の場合はどうでしょうか。


私は海辺でぼんやりと過ごすのが好きです。静かな海を眺めていると気持ちがすっきりしますから、貴重な時間です。

だからとくに用事がなくても、わざわざ海に出かけることが多いです。ひとりで何にもない海にふらっと行くわけですから、さびしいと言えばさびしい話かもしれませんが、それはまあいいです。

それよりも困ったこととして、最近は忙しくて海に行きたいと思いながら、なかなか行けません。つらい日々です。


さてここで問題ですが、私は海に行く方法を知っているのか?


常識で考えれば答えは明白です。

私は海に何度も行っているので、行き方は知っているに決まっています。電車でも行けますし車でも迷わず行けます。がんばれば歩いてでも行けます。


しかし、「プラトンの哲学(藤沢令夫・著)」という本に興味深いことが書いてありました。


この本には、「ソクラテスはそれを実際にやることができて、はじめて知ったことになると述べている」というようなことが書いてありました。


とすればソクラテスは、私にこう言いそうです。


ソクラテス「お前は海に行く方法を知っているというが、(忙しくて)行けないのなら、行く方法を知っていることにはならない」

私「……」


そう言われればその通りです。私が知っていたのは「忙しくない時に海に行く方法」にすぎないことになります。


指摘される


こういうのはよくあることで、たとえばダイエットの本を山ほど読んでやり方は知ったけど、ストレスが多くてそれを解消するために、つい好きなものをぱくぱく食べてぷくぷく太ってしまうなんて場合も、ダイエットのやり方を知っているようで知っていないことになります。


ほかにも

「こうすれば上手くいくのは分かっているけど、あいつが足をひっぱるばかりに上手くいかない」

なんて場合も多いものですが、実際に上手く行ってないなら「分かっていない」ということになります。


もちろんこれは一般的な意味での「知っていること」とは違いますが、このように考えると自分は思っていたよりも何も知らないぞ、ということになるでしょう。


「人生すべて上手くいってます。何の不満もありません」

という人はなかなかいないと思いますが、そうでないかぎり、「その不満を解消する方法を知らない」ということになります。


無知の知の意味をこういう風に考えるてみると、自分自身について新しい発見がどんどん出てきます。


こんなこと見つけて何になるのか


発見


とはいえ、この発見は「ああ自分はあれも知らない、これも知らない」ということなので、楽しい気分にはなりにくいです。

というより普通はいやな気分になると思います。こんな発見に何かの意味があるのでしょうか。


もちろんそこから「常に謙虚さや向上心をを失わない」ように出来るわけですが、一歩間違うとただ情けなく絶望的な気分になるばかりな気がします。自信も失ってしまうかもしれません。


しかしこれには大きな意味があり、自信を失うどころか謙虚さや向上心をを失わないようにしつつ、嫌な気分どころかある種の楽しさや喜びまで感じていけるのではないかと考えています。


これについてはこちらで書いております。


個人的な考えではありますが、すこしでも参考になれば幸いです。




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2 Responses to “無知の知の意味とそこから見つかる新しい発見とは”

  1. みぃ より:

    凄く考えさせられました。
    次の記事も楽しみにしております。

    • みずしま より:

      コメントしていただき、大変ありがとうございます。

      あたらしい記事を更新しました。
      http://kotowaza-kanyouku.com/muchinochi-02

      哲学の言葉はいろんなことを考える良いきっかけになると感じておりますので、当ブログがそういったことのご参考になれば、とても嬉しく思います。

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