目も当てられないの意味と使い方で注意しておくべきこと
「あちゃー……」
というセリフがにあいそうな慣用句です。
目も当てられない(めもあてられない)
日常のちょっとした出来事から
たいへんな災害や事故など、
はばひろく使うことのある言葉ですね。
とくにむつかしい意味ではないですが、
慣用句のつねとして、知らないとなんのこっちゃとなりますから、
確認しておくといいでしょう。
意味について
目も当てられない(めもあてられない)とは
あまりにもひどくて見ていることができない、という意味です。
たとえば、
「おれは自由だぜ!」
とまったく勉強しなかった。
結果、テストの点数は目も当てられないものとなった。
とまったく勉強しなかった。
結果、テストの点数は目も当てられないものとなった。
この場合、見るのもいやになるほど悪い点数だったということです。
「ぼくはやればできるんでちゅ!」
彼がそういったので仕事をまかせたが、
やはり目も当てられない事態になった。
彼がそういったので仕事をまかせたが、
やはり目も当てられない事態になった。
これだと見ていられないほど、ひどいことになったのですね。
まあ、こういったケースだと
実際には「見ていられない」なって言ってる余裕もなく
尻拭いさせられたりすることが多いでしょうけど。
深刻なものとしては
「台風の被害状況はは目も当てられないものだった」
という使い方もされて、
この場合は見ているのがつらいほど、
つまりそれだけひどい状況になっていっているというこです。
こういうのはとてもじゃないけど笑いごとではありません。
まあ最初の例が笑いごとというわけではありませんが。
このように、世の中には大小さまざまの大変なことがあるので
この慣用句もいろんな場面で使われます。
「目を当てる」ってどういうこと?
「目も当てられない」
これは慣用句ならではの言いかたですね。
「目を当てることができません」
こうやって書くと、わけが分かりません。
「目を取り出して命中させることができません」
言葉通りだこんな意味にもなってしまいます。
無茶苦茶ですね。そりゃできませんでしょう。
もちろん慣用句を言葉通りの意味で考えてもしょうがないわけで、
ここでの「目」は「視線」と考えるといいです。
「視線を当てる」なので「見ること」となり、それができない、
つまり、あまりにもひどくて、
思わず目をそらしてしまうような様子ですね。
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「ひどい」との違いは?
この言葉をつかうときは
なにかしら、ろくでもないことが起きているわけですが、
そのまま「ひどいことになった」と言うのとどんな違いがあるのか?
「ひどい」と言うと、少なくとも言葉のうえでは
たんに「そういった状態である」ということだけをあらわすことになります。
しかし「目も当てられない」だと
ひどくて見ていられないという意味なので
何かしらの感情が入っていることになります。
つまり「つらい」「かわいそう」「情けない」など
何かしら「見ていられない」理由があるわけで、
さらに「ひどい状態を見ていられない」わけですから、
ひどくないほうがいい、つまり同情的な感情とかんがえられますね。
たとえば、
彼の成績はひどいものだった。
これだと
「ひどい成績でかわいそう」
かもしれませんし、
「ざまあみろ、ケケケ」
なのかもしれまん。
あるいは「彼」には恩も恨みもないので
良くても悪くてもどっちでもかまわん、
ということかもしれません。
いっぽうで、
彼の成績は目も当てられないものだった。
これだと
「あちゃー、なんてこったい」
と、自分も残念がっていたり、
「きのどくに」と思っていたり、
あるいはちびまる子ちゃんのお母さんのように
「こんな成績とって、あたしゃ情けないよ」
なり、なにかしら感情がある言い方といえます。
注意点は
目も当てられないは
ひどくて見ていられないと言う意味なので
とくにむつかしい慣用句ではないですが、
しいていえば次の点に気をつけておくといいでしょう。
さきほど同情的といいましたが、
「こんな人に見せられない成績とりやがった、ざまあみろケケケ」
という意味での使い方も一応できるので、
「目も当てられない」というのが
かならずしも本当に同情して言っているとはかぎりません。
また、自分が使う場合も、下手な使い方をすると
「わたしの成績はそんな人に見せられないほどひどいというのか!」
と相手の気分をわるくさせてしまうかもしれないので
その点だけは気をつけたほうがいいでしょう。
この「目も当てられない」は
基本的には、けなしたりバカにするような言葉ではないので
必要以上に気にすることはないと思います。
しかし使うときはその意味から、
誰かがひどい状況になっているわけですから、
なるべく気をつかってあげたほうがいいでしょう。
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