大義名分の意味は使い方次第でよくも悪くもなりそう

これはちょっと複雑な使い方をされている言葉ですね。

大義名分(たいぎめいぶん)


歴史ものの話やニュースなどでも
耳にすることのある言葉ですが、
いったい、良いことなのか悪いことなのか
いまいちはっきりしません。


本来どんな意味だったのか、
現在どういった使い方を
されてることが多いかなどについて
考えていきたいと思います。




まずは言葉の意味について


辞書によりますと、
大義名分(たいぎめいぶん)とは
1.人として(臣民として)守るべき節義と分限
2.行動のよりどころとなる正当な理由

とあります。


「1.」がちょっとむつかしいかもしれませんが
天皇や皇帝、つまり王様のような人ですね、
これに仕える人があるべき考え方
と、
思えばいいんじゃないかと思います。

今は多くの人にとって天皇に仕えている、
という感覚は少ないと思いますし、
国民としてどうあるべき、
と考える人も少ないかもしれませんが、

人として守るべきことと考えれば
国や時代と関係なくあるでしょう。


そこから転じたのか分かりませんが
今では大義名分とは「2.」の

行動のよりどころとなる正当な理由
という意味での使い方をされるのがほとんどです。



たとえば
社会勉強という大義名分のもと外国に行く。

という使い方ですね。


この場合、
外国に出かけるのは社会勉強という、
ちゃんとした理由があってのこと

ということになり、

趣味での旅行ではないというとになり、
遊びじゃないよ! ということになり、
だから文句言わないでね!

ということになります。


こういう大義名分がある行動は
人に対してもいいやすいですし、
迷いなく実行することができますね。


なんで悪い意味になりがちなのか


このような意味なので
べつに悪いはずはないのですが、
どうしても大義名分というと

「本当は別の目的があるけれど、
それは言いにくいことだから
タテマエとして、もっともらしい理由を作っている」


という、
建前と本音を使い分けているような
ずるいイメージがあります。

実際にそのような使い方もされていますね。


さっきの例で言えば
本音では遊びで海外旅行に行きたいだけだけど
そう思われるのはイヤだから
建前として「社会勉強」を大義名分にしている、
というケースですね。


歴史ものの話でも
「あの国はいま弱っているから攻めるチャンスだ!」
「しかし、攻めるには大義名分が必要です
「そうか、それならあの国の政治が悪いから
こらしめて正していく、ということにしよう」

このような場面があります。


これは、本当は自分の野望で
相手を攻めたいだけだけど
それでは周りから反発を受けるので
そうならないために、それらしい目的を作っているにすぎません。

これはなんだか腹黒いですね。
しかし大義名分というと、
どうもこういった話を連想しやすいです。


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良い使い方だってできるはず


しかし、この言葉は
儒教(じゅきょう)に由来のある言葉です。

儒教とは、孔子(こうし)という
むかしの中国の立派な人物の教えで、
日本や中国など、アジアの国に大きな影響のあるものです。


そんな由来の大義名分という言葉が
そんなセコイ意味しかないとも思えにくいですし、

最初に述べた
1.人として(臣民として)守るべき節義と分限
2.行動のよりどころとなる正当な理由

も、よく見ればべつに悪いものではないです。


またまたさっきの例でいうと
社会勉強が大義名分、という場合
本当に社会勉強のために行くことだってあるわけですから、

大義名分というのは必ずしも、
人に言えない本音がひそんでいる言葉、
というわけではないでしょう。



良い使い方としては、たとえば

「うちの会社はみんな勝手で困るなあ」
「そうですね、自分の業績だけ気にする人、
いいかげんな人、バラバラですね」
「これではいかん、これからは
『お客さんが第一』を大義名分として
みんなに意識させるぞ

この場合は
お客さんのことを第一に考えるのが
行動のよりどころになる理由だ、

とみんなに伝えることになります。

まあ、オレはサボりたいんだ、
という人にはいい迷惑でしょうけど、
ちゃんと仕事をしたい人にとっては
とても良いことになりますね。


チームで何かやるときに、
みんなの目的がバラバラだと
なかなかうまくいかないものですが、

共通の目的や考えを旗印としてかかげると
みんなが協力しやすくなる
、というのは
部活動の大会や、学校行事の経験が
ある人なら分かると思います。


そのために大義名分というのがあると
まよわなくてすみます。
こういうのはいいですね。


けっきょく使い方次第?


つまり、この大義名分というのは、
基本的にはよい言葉だと思いますが、
使い方次第で悪用もできるものではないかと思います。



やるべき理由が力強くかかげられると
ついて行きたいくなるものですからね、
「災害で困っているあの地域を助けよう!」
などで、みんなが力を合わせるのは素晴らしいことです。


一方で、先ほどの歴史の話のような
自分勝手な行動の口実として
大義名分が使われることもあります。


これだと、
正しい目的でやっているつもりでも
実はえらい人の野望を手伝っているだけ、

なんてことにもなりかねません。


私はこの言葉を聞くと
なんとなく大きなバスや船を思い出します。

力強いエンジンで大勢の人をどこかに連れていくようなイメージですね。
ちゃんと目的地に着くこともありますが、
まれに事故などとんでもないことになることもあります。

その場合でも、悪いのはバスや船というよりは
それを運行している人なわけで、
大義名分も同様に、
この言葉の良し悪しを考えるよりも
どんな人がどんな言葉を掲げているかが大切なのでしょう。



まあ実際の日常的では
「ケーキ市場のリサーチという大義名分で
おいしいものをいっぱい食べるよ!」

といった、たわいもない使い方をされることのほうが
多いようにも思います。
こういうのは楽しくていいですね。

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2 Responses to “大義名分の意味は使い方次第でよくも悪くもなりそう”

  1. Blast02 より:

    とある創作物で見たセリフ?の一つで「大義名分が危険なのは、それ自身が正の意味でも負の意味でも、大義名分さえあれば人はどんなことでもできるから」(意訳)というものがありました(記憶違いかもしれませんが)。

    大義名分自体には良し悪しの概念がないからこそ、危険なことにも使われるという感じはありますかね。コラテラルダメージを致し方ない犠牲と表現する場合は大義名分があることが多いですし。

    そういう創作物での使用のされ方や、現実でのたわいもない使い方の方でよく聞くこともあって、個人的には良い意味で大義名分と若干使いにくくなっている気がしないでもないです。

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      この言葉はたわいもない冗談ならともかく
      真面目な場面では、どうしても使いにくくなっていますね。

      やはりちょっとイメージが悪くなってますし、
      おっしゃるとおり、危険な使い方もできると思います。


      もともと大義名分に良し悪しがないならば、
      それにも関わらず、こんな使い方をされるなんて、
      考えてみれば気の毒な言葉ですね。

      無理に使う必要まではないと思いますが、
      なぜ悪い使い方をされるかを考えただけでも
      本来の意味、さらに人の行動原理や
      社会のしくみについても知ることができそうなので、
      それだけでも価値はありそうに感じます。

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