月とすっぽんの意味と、類語の「雲泥の差」などとの違いは?
その独得の語感が
一度聞いたら耳から離れなくなる慣用句
月とすっぽん
一体なんのこっちゃ?
という言葉ですが、
たまに使う人がいますね。
今回はこの月とスッポンの意味と
類語の「雲泥の差」「提灯に釣鐘」
との違いについてです。
どういった慣用句?
月とすっぽん(つきとすっぽん)とは
一見似ているようで、実はまったく違う
という意味です。
すっぽんとは、亀の一種で、
夜空に輝く月と、泥の中に住むすっぽんでは
大きな違いがある、というのが由来。
例えば友達と同じ大学を
卒業したにも関わらず
友達のほうばかり仕事で大活躍した場合、
「同じ大学を卒業したのに」
彼と僕とは月とすっぽんだ」
というような使い方をします。
この場合、月がいいほうで
すっぽんがイマイチという意味です。
でも月は綺麗なので良い例えに使われるのは
よくわかるのですが
なぜスッポンが悪い例えに使われるのか、
ちょっと不思議です。
スッポンのイメージといえば、
「一度かみついたら離さない」
「食べると体力がつく」
といったもので
しつこい者という意味で使われることはあっても
悪いものの例えではあんまり聞かないですからね。
それに月とスッポンって
まるで関係ないもの同士のように思えますが
なぜこのふたつが対比されるようになったのか?
それはおそらく次の理由からです。
空のものと地面のもの
月と鼈(すっぽん)が同時に見られて、
なおかつ一見似ているものと思いそうなとき、
それはおそらく満月の夜、
そして場所は池のほとりです。
月とすっぽんという慣用句ができたのは
次のような状況だったのではないかと思います。
空を見上げると、
そこには丸く、美しい月が浮かんでおり、
ふと池に目をやると、
その月が水面に映ってゆらゆらと揺れている。
その美しい水面の月のそばに
もうひとつ、丸いものが動いている。
「おや、月がふたつ?」
と思ったが、よく見るとそれは
泥の中から這い出てきた小汚いすっぽんだった。
まあ想像ですが
こんな感じではないでしょうか。
すっぽんの甲羅は丸いので
暗い夜だと一瞬水面の月と見間違う、
しかし実際は似ても似つかない
という意味ですね。
ちなみにスッポンは、昔は
「まる」とも呼ばれていました。
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このような説も
もうひとつの説として
月とすっぽんは、
亀のスッポンのことではなくて、
「素盆(すぼん)」もしくは
「朱盆(しゅぼん)」から来ている
というのもあります。
お盆も丸いので、月と似ている、
しかし実際はまるで違うというものですね。
しかし月とお盆を比べるのは
少々無理があるのか、
この説はそれほど有力ではないようです。
まあ、そんなことを言ったら
月と鼈(すっぽん)も強引なんですけどね。
類語はこれら
月とすっぽんの類語として、
良くあげられるのは
雲泥の差(うんでいのさ)という慣用句です。
雲と泥なので、
空のものと地面のものという点では
月と鼈(すっぽん)と同じです。
ただ、雲泥の差というのは
月とスッポンのように
「一見すると似ている」という意味はなく
まったく何もかもが大きく違うということです。
なので、類語といってもよいのでしょうが
完全に同じ意味という訳ではないので
そこは注意がいりますね。
他に類語としては
提灯に釣鐘(ちょうちんにつりがね)
というのもあります。
提灯(ちょうちん)と釣鐘(つりがね)という
どちらも「吊るすもの」という共通点があるが
実際はまるで違うもの、という慣用句です。
なので月とすっぽんに、
より意味が近いといえます。
ただ、提灯に釣鐘という慣用句は
「釣り合わない、似合わない」という
意味の使い方が多いので
その点だけは若干の違いがあります。
とはいえ、細かいことを言わなければ
月とすっぽん
雲泥の差
提灯に釣鐘
はどれも類語といえるでしょう。
また、
雪と墨(ゆきとすみ)
という言い方もあります。
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