以心伝心の意味と良いことかダメなことかについて

これはぱっと聞くと
ちょっと不思議ですが、
よく考えると「なるほど」と思えそうです。

以心伝心(いしんでんしん)


そんなことできるの?
といったものなんですが、それだけに、
人によって解釈に違いがでやすいといえるでしょう。

では本来の意味、由来はどういったものなのか?
という話ですが、これがなかなか奥深いものでした。




意味と由来


まず、意味ですが、
以心伝心(いしんでんしん)とは
言葉を使わなくても
おたがいの考えや気持ちが伝わることです。



まあ、こうやっていきなり言われると
「どうやって?」
という話になるかもしれません。
これじゃまるで超能力の説明みたいですものね。

もちろんそんな単純な話ではなく、
(超能力が単純かどうかはまた別の話ですが)
これは奥が深い話なのです。
深すぎて、よく分からないくらい。


これはもともと仏教の、禅宗での言葉で
ことばや文字では表すことができない
真理や悟りを、心から心に伝えること、

これを「以心伝心」といったが由来です。

じゃあその
「ことばや文字では表すことができない真理や悟り」
ってなんだよ、という話になるかとは思いますが、
これはちょっと説明することがでないんでしょうね。
だって表すことができないんですから。

悟りというのは何十年も修行して開く、
なんて言うくらいですから、
やはり、ちょこっと聞いて理解できる、
というものではないのでしょう。


そのような修行をしていない人にとって
禅といえば「座禅(ざぜん)」とか
「禅問答(ぜんもんどう)」のように

名前だけは聞いたことがあるけれど
具体的なところはよく分からない、

というのが、大多数の方のイメージではないでしょうか。
私もそうです。


これじゃあ以心伝心なんて慣用句は
ふつうの人が使うことなんてないじゃないか
という話になりそうですが、

一般的な以心伝心の意味では
禅とか悟りなどのむつかしい話が
関係することはほとんどなく

次のような使い方をされています。


使い方はそんなにむつかしくない


日常的な意味での以心伝心とは


「先輩、今日はお昼ごはんにラーメン食べに行きませんか」
「お、いいねえ。おれもラーメン
食べたいと思っていたところなんだよ。よく分かったね」
「以心伝心ですね」

といったぐあいに、
わりと気楽な使い方もされています。

きゅうに俗っぽいというか、日常的な話になりました。
悟りとか真理とはだいぶ遠そうです。
まあ「ラーメンはおいしい」というのは真理かもしれません。


あと以心伝心といえば、やっぱり夫婦ですかね。

「あのふたりは何も言わなくても
おたがいの考えていることが分かっている。
以心伝心とはこのことだ

というような使い方もします。


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なんで以心伝心なんてできるのか


日本人は言葉を使わず
相手に物事を伝えるのが得意と言われます。

だから以心伝心という言葉は
よく使われるのでしょう。

なんでそんなことができるのか
不思議な気もしますし、
実際に外国の人から見ると、
日本人の意思疎通のようすは不思議に見えることもあるそうです。


でもこれは
1.よく知っている相手だから考えることが予想つく
2.ちょっとしたしぐさや表情で相手の考えを推測する

3.やっぱり超能力

こういうことなのでしょうね。


たとえば毎週火曜日には
かならずラーメンを食べる先輩がいたら
やはり火曜日には
「ラーメン食べましょう」
となります。

あるいはラーメンの話をしていたら
先輩がよだれをたらしていた
などですね。


まあこんなのは分かりやすすぎて
以心伝心以前の問題な気もしますが
夫婦とか、長い付き合いの友人なんかだと

「あなたの考えていることは何も言わなくても分かるよ」

ということもあるはずです。
お茶の欲しいタイミングとか、いつ見ても目が合うとか。


最後の超能力については私にはなんとも…。
ただ、不思議な偶然とかはあるのかもしれませんね。

「あの人とは長い間あっていないし連絡もとっていない。
今ごろ何をやっているのだろう。
そのように思っていたら、その人から手紙が来た。
こういうのも以心伝心なのだろうか」

なんて使い方もおもしろいかもしれません。


まあ、こういうのは「偶然だよ! 偶然」
と考える人もいるでしょうから、

テストの例文とかだと
「あの夫婦は黙っていても話が通じていて、まさに以心伝心だ」
というような、分かりやすい例にしたほうがいいでしょう。


ダメなこと、気をつけることは


この以心伝心は、基本的には
「何も言わなくても分かりあえる素晴らしい関係」
というような、よい意味の使い方をされます。

ただ、
「ちゃんと自分の意志を言えないようになるからだめだ」
と、以心伝心にたよるのは、よくないという考えもあります。


よく仕事では
「報告。連絡。相談。これが大切!」
と言われますが、
これなんか以心伝心とはまっこうから対立する考えですね。

実際に
「みんな分かっているだろう」
と言わなかったために問題が起きた

なんてのは仕事ではよくあることです。


さっきの夫婦の話でも
「わたしたちは以心伝心」
と思っているつもりで

「ダンナがむすっとするだけで
何をしてほしいのか分からない」
「妻が黙って怒っているけど理由が分からない」


なんてこともあるもの。
それならちゃんと口にだして言えばいいのでしょう。


また「空気を読め」なんて言い方しますが
これだって、冷静に文字を見れば
禅問答なみによくわかりません。
空気って透明ですものね。

もちろんそういったことも
場合によっては必要なのはたしかですが
あまりに「察してくれ」ばかりでは
それはそれで問題が起きるのでしょう。


うまく使えば、よいことば


とはいえ、やはり日本は察する文化ですし、
黙っていても相手のことが分かるのは
誤解さえなければすばらしいことです。



「ちゃんと言わないといけない」
のも場合によっては大切ですが
だからといって
なんでもかんでも思ったことを口に出していると
けっこううるさいですからね。


阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)のように
何も言わずに意思が通じるのは気分がいいものです。
(そういったことができる相手はとてもかぎられますが)


以心伝心も本来の意味は仏教用語とはいえ、たとえば
「ほしいおでんの具がぴったり一緒、
わたしたちは以心伝心」


なんて使い方をしても
お坊さんが怒鳴り込んでくることもないでしょうから
ちょっと使ってみるのも楽しそうです。

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