的を射るの意味と、「的を得る」が本当に間違いなのかについて

ことわざ、慣用句で
誤用されていたりするものは多いですが
とりわけ複雑なことになっているのが

的を射る(まとをいる)


これは、ご存知の人も多いですが
的を得る(まとをえる)と言う人も多く、
これが正しいのか議論になっているほどです。



そこで、この慣用句についての意味と
なぜふたつの言い方ができてしまったのか
まとめてみました。




まずは意味について


的を射る(まとをいる)とは
ものごとを正確に、要点をついているということです。



いつも納得のいくことを分かりやすく
話してくれる人がいますが、そういったときに
「○○さんは、いつも的を射ることを言うなあ」
とか、

話し合いのときに
するどい意見を言った人がいたら
「彼の言うことは的を射ている」
というように使います。


ようは
的のど真ん中をズバリとつらぬくような
正確なこと、という意味ですね。

ここまでは問題ないと思いますし、
特に分かりにくいこともないでしょう。

問題はここから。


「的を得る」は正しいのか?


この慣用句について議論になるのは
その意味についてよりも
「的を得る(まとをえる)」という言い方が
正しいのか間違いなのかについてです。



的を射る(まとをいる)というのは
じっさいに口に出してみると分かりますが
なんとなく、舌をかみそうで言いにくいです。

そのためか、この慣用句を
「的を得る」という人が、とても多いです。
(もしくは「当を得る」という言葉と
混同されていると考える人もいます)


これについては、
「的とは射るものであり、
得る(手に入れる)ものではない」

という考えが広まっていて、

これがとても説得力があるためか、
「的を得る」は誤用とされることが多いです。


ただ、「得る」には「手に入れる」以外にも
「理解する」「とらえる」など、
さまざまな意味があります。

また、古風な言い回しだと
射ることを「得る」という場合もあり、
必ずしも間違いとは言えません。



例として、同じ意味である中国由来の慣用句として
「正鵠を得る(せいこくをえる)」
(正鵠とは的の真ん中の点)
というものがあります。


このあたり、ややこしいですが、
ことわざや慣用句では

・よく使われているのに実はまちがい
・まちがいだと言われているけど本当は正しい


というのはけっこうあります。


かなりたくさんあります。たぶんほかにもあるでしょう。


※コメントでご指摘をいただきました。
「正鵠を得る」という言い方は、中国にはないとのことです。
くわしくはコメント欄もあわせてごらんくださいませ。


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結局どうすればいい?


どちらの言い方も
間違いとは言えないのですが
辞書に確実に載っているのは
いまのところ「的を射る」のほうです。



的を得るだって同じ意味ですし
むしろこちらのほうが
先にできた言い方とする考えもありますが、

間違いという考え方が広まってしまっているので、
「その言い方は違う、もの知らずめ」
なんて言われかねないですし、

これに反論して
「いーや! 的を得るも正しい言い方だ!」
と主張して辞書をひいても載っていない

なんてことにもなりかねません。


なので、特にこだわりがない限り、
「的を射る」といったほうが無難ではあります。


いっぽうで、
「的を得る」という人がいても
鬼の首を取ったように
「それは間違いだ!」
と得意になって指摘しないほうがいいでしょうし、
自分で使ったっていいと思います。


実際のところ、きょうび「的を射るだ!」
なんて突っかかってこられることなんて、ほとんどないですし、
こちらのほうが正しいという考え方もありますからね。


「的を射る」に関しては
いろいろな説が飛び交っており、
正確なところがはっきりとしていないです。


どちらが正しいかについて
あれこれ辞書を調べました。
「的を得る」が辞書に載っている!?あちこち調べた結果

同じ言葉をいろんな辞書で調べると
意外と解釈が違うので面白いですね。


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26 Responses to “的を射るの意味と、「的を得る」が本当に間違いなのかについて”

  1. 重光 より:

    正鵠を得る(せいこくをえる)は、明治時代にできた言葉です。
    古文を読んでも、得るを射ると同じ(もしくは的の中心に当たった)意味で捉えることはありません。
    射るは当てる意味を持っています。平家物語の原文を読んでも明らかだと思います。
    「正鵠を得る」は「正鵠を失わず」から来ています。
    失うの反対は得るだという考えから生まれたようです。
    しかし中国語を中心に考えるのならば、矢に関係する「失」の反対は「中」です。得るわけではない。中国語辞典で「得」をひいても、当たるという意味は出てきません。

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      その通りですね、
      たしかに「正鵠を得る」は載っていませんでした。
      記事を修正させていただきました。

      >しかし中国語を中心に考えるのならば、矢に関係する「失」の反対は「中」です。得るわけではない。中国語辞典で「得」をひいても、当たるという意味は出てきません。

      なるほど、それならば
      「的を得る」を中国由来の言い方と考えるのは
      無理がありますね。

      ご指摘ありがというございます。

      • 佐藤芳道 より:

        本来は「的を得る」は中国語の誤訳というのが一般的な解釈です。
        三省堂が「的を得るは誤用」を削除したのは,「的を得る」が正しい用法だとしたからではないのです。現代において,広く認知され,社会に広く通用しているものは認めていこうという判断だからです。三省堂「国語辞典」は,正しい正しくないの基準ではなく,言葉は時代とともに変化していくという立場の編集で,正しいか正しくないかの判断はあまり重視しません。つまり規範的な辞典ではありません。
        繰り返しますが,規範的な語学(言語学ではありません)では「的を得る」は中国語の誤訳で,意味を取り違えているということになります。

        • みずしま より:

          コメントありがとうございます。

          一般的には「的を得るは誤用」という考えが広まっているので、「的を得るは中国語の誤訳」というのも一般的な解釈と考えられそうですね。

          三省堂が削除した理由は「得る」の意味を「とらえる」と解釈したからのようですが、もしかすると「そう解釈した理由」として、的を得るが広く社会に認知されたからというのがあるかもしれません。

          そのように考えると、新しい言葉や考え方を積極的に取り入れる三省堂らしいと思います。

  2. とおりすがり より:

    「的を得る」で決着がついています。

    そもそも誤用として三省堂国語辞典で1982年あたりで辞書に掲載されました。
    しかしそれから30年ほどたって第7版では再検証した結果、「的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。と謝罪しました。
    (詳細は三省堂国語辞典第7版「得る」の項を)

  3. 同時代ゲーム より:

    はじめまして
    「的を得る」の表現について気になったもんで
    つい立ち寄ってみました

    根拠のない個人的な考えなのですが、
    古代日本語では「イ」音と「エ」音が同一であったという話から
    元々は「的を~」の後には「いる」とも「える」とも聞こえるような
    あいまいな表現がされていたのではないかな、と感じます

    「音声言語」が中心だった時代なら、大した問題では無かったのですが
    「文字言語」が主流のネットの時代だと、こういうのって非常にモヤモヤしますね

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      >「音声言語」が中心だった時代なら、大した問題では無かったのですが
      >「文字言語」が主流のネットの時代だと、こういうのって非常にモヤモヤしますね

      まさしくその通りですね。
      話すときはどちらも似ているので、それほどでもないのですが、
      文字にすると、とたんに違いを感じてしまいます。

  4. スライム国 より:

    そもそも中国では「正鵠を失わず」という言葉自体存在しません。
    あるのは「正鵠をそれず」です。
    日本の漢字は、漢語の意味を正しく理解できずに輸入されたものが色々あります。

    私のブログに的を得るの正誤についてのテンプレがあります。
    このテンプレ情報などをNHKや辞書出版社に提供すると「貴重な情報ありがとうございます」と電話がかかってきました。

    下記アドレスが私のブログにあるテンプレです。

    スライム国のおへや 的を得る『元来』正当論を滅ぼすためのテンプレ
    http://surakokuheya.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      教えていただいた情報をもとに、記事を修正させていただきました。

  5. トミー より:

    「的をえる」は「的を捉える」から来ており、得ると漢字を当てているのがおかしくなった元という説があります。

    ソースは口伝につき、はっきりとは分かりませんが、参考にする価値はあると思われます。

    • みずしま より:

      これは分かりやすいですね。
      正しいかどうかは分からないとしても、
      「的をえる」という言い方が、
      これだけ広まった理由のひとつとしては考えられそうです。

      コメントありがとうございます。

  6. カンパイパールライス より:

    矢は射るものだけど的は射らないよ
    百歩譲って「的を射る」が的に向かって射る(撃つ)という略称だとして
    それだと放っただけで的に当たったわけではないので本来の「的を得た」的中したという意味合いとは違う事になってしまう
    そもそも「射る」という言葉に的中したという意味は含まれていないあくまで「放つ」の意味合いだ
    この話題でよく目にする「正鵠を得る」の鵠(くぐい)は鳥の名
    獲物である鵠を得る為の練習として的の中央に鵠と書かれたのが語源
    矢を射て的(鵠)を得るだから矢は鵠に的中した事を指す
    よって「的を得た」が正しい使い方

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      そうですね。
      矢を射て獲物を得る、ここから矢を射て的を得る
      こう考えると分かりやすいですね。


      ただ、「射る」は何かを放つという使い方はもちろん、
      命中させるという使い方でも使えるんじゃないかと思います。

      「撃つ」もそうだと思いますが
      「シカを射る」「シカを撃つ」
      この場合は命中させるという意味で、

      「矢を射る」「弾丸を撃つ」
      これだと放つという意味になると思います。


      したがって
      「的を射る」も別に使ったっていいんじゃないかと思います。
      もちろんカンパイパールライスさんのおっしゃる通り
      「的を得る」もあっていると思います。

  7. yamamoto より:

    『 正鵠(せいこく)を得る 』  《国語大辞典》 より

    → ・ 的をついている

    → ・ 核心をついている



    『言い得て』  《日本語表現辞典》 より

    → ・ 巧く言い当てて、

    → ・ 的確に表現していて、

    → ・ 物事を上手に捉えて



    『言い得て妙』

    → ・ 巧く言い当てていて大変すばらしい



    『的を得た』

    → ・ 要点を言い当てた

    → ・ 核心を捉えた

    → ・ 的を突いた

     

    「三省堂国語辞典」編者 飯間浩明氏

    『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。
    「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。
    「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。
    詳細は「得る」の項を。

    ( https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616 )


    「的を得る」の用例(1940年代・それ以前)
    「的を得る」「的を射る」よりも150年以上古い用例

    実際の使用例も古くから「得る」が圧倒
    ( http://kumiyama-memo.hatenablog.com/entry/2013/10/14/223832 )

    • みずしま より:

      情報ありがとうございます。

      「的を得る」は特に誤解を生むような言い方でもないと思いますし、
      もう少し認められていくと使いやすくなって良いのでは? と感じています。

      そういう点でも、三省堂国語辞典で認められたことによって
      今までよりも使いやすくなっていきそうですね。

  8. う。 より:

    的を得るは、的を射た結果、一等になったってこと。
    射会では、一等になった人は的をもらえるから。
    と、弓道部の人が言ってたのを思い出しました。
    シャレです。為念。

    • みずしま より:

      おもしろい話ですね。
      慣用句などは思いもかけない由来があったりしますから、
      こういった話も実際に人から聞くと
      一瞬「そうなの?」と思ってしまいそうです。

      コメントありがとうございます。

  9. 通りすがり より:

    元々間違いなのだから「鬼の首を取ったように」というのもおかしな話だと思います。
    先日「「代替」(だいたい)をだいがえと読むのは間違い」とSNSで発言したところアンチから「言うこともある(とサイトに書かれている)。ググらないなんてゆとり」という中傷を受けました。
    時代の流れや声高な人の主張で間違いが正しいとされるのは私は納得行かないですね。
    結局(言葉の)暴力に屈しているに過ぎないということ。
    三省堂が載せたらしいですね。今後私は三省堂の記載は信用しない事にします。

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      ここでの鬼の首を取ったようにというのは
      「得意になって」という部分についてで、
      まちがいを指摘すること自体を否定するものではないです。


      他人のちょっとしたまちがいを得意になって責め立てるのは
      実生活においてはあまりよくない結果になりやすいため
      気をつけたほうがいいとは思いますが、

      おっしゃっているように、言葉の使い方を発言することそのものは、
      当然のことではありますが、何の問題もないと思います。

  10. 七氏 より:

    当を得ると混同されてたのかも知れませんね。
    当は筋道が立っているという意味らしいですから微妙に違いますが。

    • みずしま より:

      これはありそうですね。

      違う意味とはいえ、ことばの雰囲気が似ているので
      なんとなく使っているうちに広まったのかもしれません。

      コメントありがとうございます。

  11. 通りすがり より:

    >「的とは射るものであり、得る(手に入れる)ものではない」
    >という考えが広まっていて、
    >これがとても説得力があるためか、

    これ、残念ながら全く説得力がありません。
    「得る」には「時宜を得る」「要領を得る」「得たりや応」などという言葉がある通り、理解する、悟る、(概念的な意味で)掴む、捉えるといった意味もあります。
    「得る」を「手に入れる」としか解釈できない(しなかった)ことが問題なのです。

    例えば「的を得る」はよく「当を得る」の誤用とされていますが、「当を得る」を上記引用の論法に当てはめると、
    「当は手に入れるものではない(そもそも物でもない)」ということになり、「当を得る」も誤用ということになってしまいます。
    言語を解釈する手順としておかしいですよね。

    「得る」に「手に入れる」以外の意味があることは、Web辞書の範囲内ですらあきらかです。
    また、「得る」を「手に入れる」の意味でしか記載していない辞書は日本に存在しないと思います(あったら教えてください)。
    私も色々調べていく中で、上記引用のような考え方が(何故か)広まってしまったことは事実だと認識しておりますが、
    何故このような固定観念的なものの見方が正統なものとして長らく扱われてきたのか、不思議でなりません。

    『「的」(物事の要点や核心)を「得る」(理解する、悟る、捉える)』という言い回しは、
    どんな辞書にも記載されている意味通りに読んで行けば、正しい解釈ができる文節の組み合わせでしかないのです。

    • みずしま より:

      そうですね、おっしゃるとおり「得る」には「手に入れる」以外にもいろいろな使い方がありますので、この点はあらためて本文に追記させていただきました。

      「得る」の意味を考えると「的を得る」という言い方は文法的に間違ってはいないのですが、「射る」のほうが多くの人にとって、より直感的に意味が分かりやすいため広まったのではないか? と思います。

      コメントありがとうございます。

  12. 画家 より:

    丁寧なコメントのやり取り読ませて頂き、自分なりに「得心」しました。

    「的」も物理的な標的以外に「 核心、要点」といった概念的意味合いで使われていますね。
    「得る」には「理解する、悟る」の心理的意味があるとの事で、物理的に射る」方が使い方に無理がある気もしてきました。

    勉強になりました。有難うございます。

    • みずしま より:

      コメントありがとうございます。

      言われてみれば「的」「得る」や「射る」もいろいろな意味合いがありますね。

      この慣用句についてはさまざまな意見、考え方がありますが、
      それだけに言葉の成り立ちについて考えることができるので、興味深く感じます。

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