大器晩成の偉人たちの話と人生をあきらめないこと
ここでは大器晩成、つまりあるていど人生を過ごしたのちに何かを成しとげた歴史上の偉人、有名人を紹介します。
「どうせ結果を出すなら早い方がいいよ」
と思うかもしれませんが、なかなかそう上手くいかないこともあります。
そもそも若いときに自分の本当の目標に気がついていないこともありますからね。
大器晩成の意味を信じるのは人生をあきらめないということにもつながります。
またいざというときに、これら偉人の話は私たちの行動をぐいぐいと力強くひっぱってくれます。
これから挙げる人物の話は、知っておいて決して損にはならないでしょう。
なお、ここでの大器晩成とは特に何歳というわけではなく
「一般より遅い年齢で新しいことを始めた」
有名人、偉人を紹介していきます。
けっこう長いので、気になる人物だけでも見ていくといいと思います。
もくじ
安藤百福(実業家)
おなじみのインスタントラーメンを発明した人です。
その生涯はまさに波乱万丈で、大器晩成の偉人といえる人物です。
20歳すぎで繊維の会社をつくり、一度は成功をおさめます。
しかし戦争の影響で仕事ができなくなり、そこで軍のための工場をやりますが、無実の罪で捕まり苦難の日々をおくることになってしまいます。
そしてその後もいろいろな仕事をやりますが上手くいかず、47歳でほぼ無一文になってしまいます。
それでもあきらめず自宅に小屋を建て、そこでかねてより思い描いていたインスタントラーメンの研究を朝から晩まで毎日つづけました。
そして一年後の48歳のときに、ついにチキンラーメンを完成させ、大ヒットさせます。
その後、61歳のときにカップヌードルも作りました。こちらも大ヒットして、どちらも今なお誰もが知っている商品ですね。
有名な名言として
「過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている」
というものがあります。
「過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている」
というものがあります。
身近なインスタントラーメンにもいろいろな話があるものです。
これを知っているとラーメンを食べるたびに「人生これから」と思えそうですね。
カーネル・サンダース(実業家)
ケンタッキーフライドチキンを作った人で、お店の前にいるあの像の人です。
この人もまた「大器晩成の偉人」を地で行くような人生を歩んでいます。
10歳から働きはじめ、数々の仕事をやっていきます。
そして40歳ごろにガソリンスタンドに物置を改造して小さなレストランをつくりました。
このレストランが好評で、やがて150人近くはいる大きな店に成長していきます。
ところが近くに高速道路ができたため目の前の道路に車がさっぱり来なくなるなど、苦難がつづいて65歳で財産のほとんどをなくしてしまいます。
そこで今度は「人気メニューだったフライドチキンの作り方を教えるかわりに売り上げの一部を受け取る」フランチャイズというやり方をつくります。
このときすでに70歳をすぎていましたが、みずから車でまわって協力してくれる人を探していきます。
何度もことわられてしまいますが、それでもあきらめずに続け、やがてケンタッキー・フライドチキンは世界的に広まっていきました。
有名な名言として
「人生は自分で作るもの。『遅い』と言う事はない」
というものがあります。
「人生は自分で作るもの。『遅い』と言う事はない」
というものがあります。
70歳で仕事を成功させたわけですから驚きです。フライドチキンを食べるたびに「人生いまから」と思えそうです。
伊能忠敬(測量家)
日本全国を歩いて測量し、地図を完成させた人物です。
大器晩成の偉人といえばこの人を思い浮かべる人も多いと思います。
忠敬は17歳のときに、伊能家の仕事を受けつぎます。
そのとき事業は危機的な状況でしたが、10年かけてみごとに立て直します。
また、災害などで食料が不足すると、まわりの人々に食べ物を分けて助けたりしていました。
49歳になると、それまでの仕事を子供にまかせて、まえから好きだった天文学などを勉強します。
やがて55歳から日本地図を作り始めることになります。
当時は歩いて移動しなけがら地形を調べないといけませんでした。日本ぜんぶの地図を作ろうと思ったらとんでもない距離です。
とても長い旅を何度もくりかえすことになり、途中で仲間が亡くなったり、病気や高齢で体力が落ちていきます。
それでも生涯にわたり地図作りをつづけ、17年かけてついに日本地図を完成させました。
有名な名言に
「歩け、歩け。続ける事の大切さ」
というのがあります。
「歩け、歩け。続ける事の大切さ」
というのがあります。
55歳からという年齢だけでなく、歩いて日本全国をまわるという、若い人でもちょっとできないことをやったのは、まさに偉人といっていい業績でしょう。
簡単に「もう年だから」とか言えなくなりますね。大器晩成型の人にとって頼もしい話です。
エイブラハム・リンカーン(政治家)
奴隷を解放したことで知られています。
アメリカの歴代大統領でもっとも有名なひとりで、数々の逸話のある世界的な偉人といえます。
貧しい家に生まれ、教育もあまり受けれらませんでしたが、本をたくさん読んで自分で勉強していきました。
20代のときに雑貨屋をはじめましが、うまくいかず結局やめてしまいます。
のちに政治にかかわるようになり、当時アメリカにあった奴隷制をやめさせようと考えました。
しかし選挙に何度も落選することになり、なかなかうまくいきません。
それでも52歳でついに大統領になり、見事に奴隷解放宣言をします。
ところが、アメリカ南部の人たちがそれに大反発して、ついには南北戦争という戦争まで起きてしまいます。
リンカーンは奴隷解放をめざして戦いつづけていきました。
残念なことにリンカーンは戦争が終わる直前に銃で撃たれて亡くなってしまいますが、戦いは勝つことができ奴隷制はなくなっていくことになります。
有名な名言として
「そのことはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ」
があります。
「そのことはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ」
があります。
52歳は大統領になった年齢としては特に遅いわけではありません。
しかし、彼のおそらくもっとも有名な業績である「奴隷解放」のための活動は、生涯にわたって続けていたので、この点では大器晩成型といってもいいでしょう。
徳川家康(武将・戦国大名)
織田信長、豊臣秀吉とならんでもっとも有名な戦国大名です。江戸幕府をひらいた人物ですね。
子供のころは他の家に人質としてあずけられていました。
戦国大名になると織田信長と同盟を結びます。
しかし信長はかなり強引な人物で知られる人物、むちゃな命令があったり戦場に取り残されたりと、ひどい目にあいます。
そのため他の大名たちはいやになったり裏切ったりしますが、家康は最後まで裏切らず信長をたすけ続け、力をつけていきます。
その後は秀吉と一度は対立しますが、戦いで決着をつけず秀吉の臣下となり、その中でさらに力をつけていきます。
やがて一番強力な人物となっていき、最終的には関ケ原の戦いに勝利をおさめ、200年以上続く江戸時代をつくります。
そのときすでに60歳をすぎていました。
名言として
「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず」
があります。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず」
があります。
戦国時代の話は派手なものが多い中、徳川家康の話はすこし地味に見えるかもしれません。
しかし大器晩成の人が実際に見習って成果を出しやすいのは、こういったじっくりと物事をすすめられる偉人の話でしょう。
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チャールズ・ダーウィン(自然科学者)
イギリスの自然科学者。「ダーウィン進化論」で有名な人です。その名前は生物の話で一度は聞いたことがあるでしょう。
しかしそれについて書かれた著書である「種の起源」を発表したのは50歳ぐらいのころで、この人もまた大器晩成の偉人といえます。
裕福な家庭に生まれましたが、子供のころはあまり成績がよくなかったようで、野山を歩いて生き物を観察するのが好きでした。
大学でもあまり勉強が身につかず、やはり虫を集めることなどに熱中していました。
20代のころ海軍の測量船であるビーグル号に乗り、世界を周ります。
このときに寄ったガラパゴス諸島の独特の生物につよい興味を示しました。
進化論のアイデアはここから得たと言われていますが、それについてかなりじっくりと書いたため、なかなか発表にはいたりません。
結局「種の起源」を発表するまで約20年もの歳月をついやすことになります。
しかしこれが大きな評判になり、世界中で翻訳されダーウィンの代表的な本となります。
有名な名言に
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」
があります。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」
があります。
生物の観察が好きだった人が進化についての発表で偉人として名を残すのは「好きこそ物の上手なれ」を究極的に体現したといえそうです。
また「変化できる」というのは生物の進化のみならず、変化のはげしいこれからの時代にも重要なメッセージとなりそうです。
ハインリヒ・シュリーマン(考古学者)
ドイツの考古学者シュリーマンは、伝説の都市トロイアを発掘した人物です。
子供のころにホメロスの物語でトロイアを知ることになります。
しかし貧しかったために食品会社で働きはじめ、その後にオランダやロシアにわたって貿易をはじめます。
シュリーマンには商売の才能があったようで貿易で成功していきました。
40歳をすぎたころに仕事をやめて、歴史の研究をしたり世界を旅していろんな地方を見ていくようになります。
そして48歳から発掘をはじめました。
当時はトロイアの遺跡はまだ見つかっておらず、そもそも架空の話で実在しなかったとも言われていました。
それでもシュリーマンは数年にわたって発掘をつづけ、ついに伝説の都市トロイアのあった場所を見つけ出します。
その後も遺跡を発見していき、ヨーロッパの歴史研究に大きな貢献していくことになります。
彼の名言として
「夢を持つと、苦難を乗り越える力が湧いてくる」
というものがあります。
「夢を持つと、苦難を乗り越える力が湧いてくる」
というものがあります。
子供のころに感動した話をおとなになってから業績につなげていく、伝説の都市の発見というロマンあふれる話など、いまでも楽しい夢を与えてくれる人物です。
夏目漱石(小説家)
「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」など有名な作品がたくさんあります。
言わずと知れた日本文学の代表的な存在ですが、小説を書き始めたのは意外と遅く、この人も大器晩成型と言えます。
大学を卒業したときは英語の先生をしてました。優秀だったため国からイギリスに留学を命じられます。
しかし、そこでの生活がうまくいかず、精神が疲弊していきます。
帰国後に高校や大学の教師になりますが、やはりうまくいかなかったようです。
38歳のときに気分を変えるため「吾輩は猫である」という小説を書いたところ、それが評判になりました。
すでに高校や大学で高い収入があったにもかかわらず全部やめて、教授へのさそいも断り、そのまま小説家になります。このとき40歳でした。
その後も胃の病気により苦しめられましたが小説を書き続け、たくさんの作品を残していきます。
教師をやめるときは
「小説を書いていないと生きている気がしない」
と言っていたそうです。
「小説を書いていないと生きている気がしない」
と言っていたそうです。
本当に目指すものがあるときは、それまでの地位や収入にはあまりとらわれないほうがいいのでしょうね。
グランマ・モーゼス(画家)
アメリカの画家で、ほのぼのと穏やかな田舎の風景の絵で知られています。
おどろくべきことはそれを始めた年齢で、なんと70歳をすぎてから画家としてスタートしました。
大器晩成型の偉人や有名人のなかでもひときわ印象に残る人物です。
モーゼスは12歳のころから農場ではたらき始めます。
27歳で結婚しますが、その後も子供を育てながら、ずっとはたらき続けました。
やがて70歳で夫が亡くなり、病気で手が動かなくなって楽しんでいた刺繡(ししゅう)も出来なくなります。
ここで手を動かす訓練のために絵をかきはじめました。
しだいに夢中になっていき、かいた絵を知り合いの場所に置いてもらったりしているうちに注目を集めるようになります。
そしてアメリカ中で有名な画家となり、101歳で亡くなるまでに1500以上の絵をかき続けました。
有名な名言に
「人生は自分がつくるもの。これまでも、これからも」
があります。
「人生は自分がつくるもの。これまでも、これからも」
があります。
70歳をすぎて夫をなくし、手が動かなるなって趣味ができなるなるというのは、そのまま老けこんでしまいそうな話ですが、そこから新しい分野で活躍するのはやはりすごいですね。
やりたいことがある限り、いつだって始めていいという気にさせてくれます。
ほかにもこのような人がいます
そのほかにも大器晩成の偉人や有名人はいます。
あげていくと本当にキリがないくらいです。
自分にとって力となってくれる人を「尊敬する偉人」として胸に秘めておくのもいいですね。
レイ・クロック(実業家)
ハンバーガーチェーンのマクドナルドを世界中に広めた人物ですが、その事業をはじめたのは50歳をすぎてからでした。
「幸運は汗からの配当だ」
ヘンリー・フォード(企業家)
フォード・モーターの創設者。
会社を何度も失敗しながら自動車の大量生産に成功させました。
「失敗とは、より賢く再挑戦するためのよい機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない」
ジャン・アンリ・ファーブル(博物学者)
昆虫の研究で知られていますが、それをまとめた「昆虫記」を書いたのは60歳をすぎてからでした。
「忍耐と熟考をして困難に当たれば、そのたびに成長することができる」
ネルソン・マンデラ(政治家)
差別的な法律に反対したため27年も牢獄にいれられましたが、のちに74歳で南アフリカの大統領に就任しました。
「達成するまで、それは不可能に見える」
おわりに…。あきらめる必要などなさそうです
こうやって見ていくと、子供のころに興味があったものを再び始めて大成功、偉人として名をのこしていく人が多いように思います。
もしくは一貫して目標を持ち続けていたかですね。
日本では早いうちに才能をあらわす天才的な人物がもてはやされて、年をとってから新しいことをやるのはあまり良いことと言われないように思います。
しかし自分が本当にやりたいことや好きなことがあって、長年その気持ちが変わらないなら、いまさらなんて言わずに思い切ってやってみるといいでしょう。
「いい年してそんなことやるなんて」と冷ややかな目で見られたり、ときには笑われるかもしれません。
それでもやりたいことを抱えたままぐずぐずとしているより、よっぽどいいものです。
そのためにも、このような大器晩成の偉人たちの話を胸に秘めておけば、よけいな雑音など気にならなくなりそうですね。
くだらないことを言うやつらは放っておけばいいのですから。
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