好きこそ物の上手なれの意味は不安な時代こそ重要
いまは何かと心配が多い世の中ですが、だからこそこういった考えが大切になると思います。
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
素晴らしいですね。これだけで生きていきたいところですが、実際のところ可能なのでしょうか。
今回はこのことわざの意味と、なぜ大切になっていくかについてです。
これはどういう意味か
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)とは、好きなことは夢中になってやるので、それだけ上手になる、という意味のことわざです。
使い方、例文としては
「あの子はいつも歌をうたっているけど、それだけに上手だねえ、好きこそものの上手なれ、だ」
誰もいないと思って道端で歌をうたっていたら、じつは角の向こうで人に聞かれていたなんてことがありますが、これぐらい好きだとやはり上手くなるというものです。
ほかに
「好きこそ物の上手なれというし、いやがる習い事をさせるよりも、歌を歌わせたほうがいいと思います」
という具合ですね。
好きなことなのでたくさんやる、集中してやる
↓
したがって上手になる
ということですね。まあ当然といえば当然です。
なにごとにおいても好きかどうかはとても大切なことです。好きでやっているから楽しいし上達もはやいしで一石二鳥です。
しかし、これまた当然のことながら、そんなに上手くいかないことも多々あります。
恐怖の反対語
好きこそ物の上手なれの反対語としては、
「下手の横好き(へたのよこずき)」というものがあります。これも有名です。
これは、下手なのにやたらと好き、という意味で、ドラえもんに出てくる「ジャイアンの歌」が代表的な例といえるでしょう。
ほかにも
・しずかちゃんのバイオリン
・パパのゴルフ
など、「ドラえもん」にはやたらと下手の横好きと言えるものが出てきますね。
好きだから上手くなりそうなものですが、なぜかいつまでも下手なまま、ということもあります。
そういえば道端でやたらと下手な歌をうたっている人を見かけることもあります。なぜかヘタな人にかぎって堂々と歌っているように思えますが、気のせいでしょうか。
とはいえ、やはり「考えただけで吐き気がするくらい嫌いなこと」よりは、「踊りたくなるくらい好きないこと」のほうが、ふつうは上達ははやいので、この下手の横好きというのは、あくまでそういうこともある、という意味でおぼえておくといいと思います。
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なぜこれから大切になっていくのか
ここからは「好きこそ物の上手なれ」の本来の意味とは、ややはずれた話になるかもしれませんが、このことわざが重要になっていく理由として、
「かつてのように会社員が一生安泰ではなくなった」
というのがあります。
今から数十年前は、よい会社に就職すれば一生安泰と言われてました。
そのために厳しい受験勉強をして少しでもいい大学に入り、いい会社に入り、つらくてもその仕事さえやれば、生活に困ることはまずありませんでした。
ここ数十年の間も、長らく不況ではありましたが、どうしようもなくて食うに困る、というほどの人は少ないでしょう。
しかし、いよいよそれも分からなくなってきました。日々の生活に困るほどではなくても、いまの会社でずっと働いても大丈夫なのか、将来の年金は大丈夫なのかと不安を覚える人は多いと思います。
つまり、「世の中の決まったレール(いい大学→いい会社)」というものを、多くの人が信じられなくなってきています。
そうなると、もう五里霧中といいますか、右往左往するしかなくなります。
そこで、好きこそものの上手なれの意味が生きてきます。
好きなことを仕事にしてしまえば、世の中がなんであろうと、「自分は好きだからこれをしている」ということになるので、迷わずに集中することができます。
そして、好きだからこそなんとかやっていけるように工夫して上達して、変化していく世の中に対応していけるようになります。
こうなりたいものです。
簡単に言ってくれるなよ!
という話かもしれません。
「世の中がきびしくなっていくのなら、ますます好きだのなんだの言ってられない。仕事を選ばずに歯を食いしばって耐えないと」
という考え方もあるでしょう。
だいたいそんな都合よく好きなことを仕事にできたら苦労しません。言うは易く行うは難し、です。
しかし簡単ではなかっとしてもなお、好きこそ物の上手なれは大切な意味のことわざだと思います。
理由のひとつは、これからは単純作業は機械がやっていくようになるからです。
車の運転まで機械が自動でやっていくと言われるくらいですから、料理など多くのことが自動化されていくでしょう(チャーハンを作る機械を見たときは衝撃でした)。
嫌々やる仕事というのはただやるだけの単純作業になりやすいので、どうしても機械が有利になってきます。いくら頑張ったところで機械の進歩に勝つのは難しいです。
一方で好きなことは創意工夫をしようという気になりますし、情熱をかたむける姿で人をひきつけることができます。
料理が好きな人はただ作るだけでなく、新しいメニューを考えますし、そうでなくても楽しそうに作った料理は、機械がポンと作ったものよりも、ふつうは食べたいと思うでしょう。
もうひとつは好きなことを仕事にしやすくなってきているというのがあります。
たとえば昔はゲームで遊ぶことはどうやっても仕事にならなかったです。しいて言えばゲーム雑誌にかかわるぐらいでしょうか。
しかし今はプロゲーマーなんて人もいますし、そこまでいかなくてもゲーム実況動画を配信することもできます。
また会社も副業を解禁しているところが増えてますので、本職にできなくても副業で始めればリスクも少なく気楽に始めることができます。
最後に、これが一番大切だと思うこととして、好きなことをしていると、つらい時期も乗り越えられる、というのがあります。
きびしい状況を乗り越えられるのは、根性があるというよりも好きかどうかが大きいです。
たとえゲームの実況動画を配信しても、そんなにスラスラと利益がでないと思いますし、一般的に自分でビジネスをしていきなり利益がでないことのほうが多いです。
そういった時期はとにかく不安で、消えてしまいたいくらい辛い気持ちになるものですが、それを乗り越えるために「いま自分は好きなことをやっている」という実感があるのは大きいです。
「好きなことを仕事にする」というのは多くの人があこがれることでしょうから、そこに向かっているというのは大きな力になってくれます。
変化していく世の中だからこそ
これからは良くも悪くもいろんなことが変わっていくでしょう。
景気はなかなかよくならない反面、技術の進化によって生活自体はよくなってきています。残業は昔ほどしなくてよくなってきてますし、スマホなんて便利なものもあります。
とはいえ、変化に対応するのはなかなか大変ですし、いくらがんばっても完全に不安をとりのぞくことは難しいと思います。
だからこそ、「これをやっていればそれだけでしあわせ」という状態にするのが大切になると思います。
失敗しても好きなことをやっているので楽しい、うまくいけば万々歳というのなら理想的ですね。これなら不安になることはありません。
昔のように「少しでもいい大学に入っていい会社に入らないとバカにされる」という半強制的なレールは、良くも悪くもなくなってきています。
暗いニュースも多いですが、好きこそ物の上手なれという視点で考えると、世の中はむしろ生きやすくなっているように感じます。
「一念岩をも通す(いちねんいわをもとおす)」というぐらいですから、何があってもとにかくやっていく、炎のような熱意をもってやればなんとかなるでものですし、そのためにもこのことわざの意味は大切になります。
たとえ下手の横好きになったとしても、好きなことというのは魂がこもるものですし、こういうのも機械にはできない芸当です。おそれずに行きたいものです。
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