坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと「袈裟」について、気をつけることは?

とんだとばっちり、
という状況のことわざです。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)


世の中には理不尽なことがあったり
ときには自分自身が
そういったことをやってしまいそうになりますが
これもそういったもののひとつですね。




こんな意味!


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)とは
あるものを憎むあまり、
それに関係するほかのものまで憎く感じる
、という意味です。


「おまえなんか大っきらいだ!」
「なんで?」
「おまえのお父さん、学校の先生だろ。
おれこのまえ学校でおこられて嫌いになった。だからお前もきらいになるんだ」
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いだな! そんなこと知らん」

学校でいやなことがあったので
学校にちょっとでも関係のあること何でもいやになったのですね。

バカバカしい! と思いそうですが、
このような、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの意味が
その通りだというようなことはけっこうあります。



算数の勉強がきらいだったら
なんの罪もない分度器とかも憎たらしく感じますし、
そろばんを得意げにパチパチはじく人も
「気に入らん!」となります。


私は英語が苦手だったので
英語の教科書にやたらでてくる
「ハーイマイケル!」
みたいな人たちもちょっと苦手でした。

あいつらなんでいつも笑ってるの? こっちは苦労してるんだよ! とか腹をたててみたり。
あの人たちなんにも悪いことしていないのにね。

ケムシがきらいな人は
虫がついている木まで嫌がったりしますからね。
木だって被害者なのに!


こんなふうに、人間は
直接関係ないものまで感情が入り込んだりすることがあるので
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのは気をつけないといけないですね。


「袈裟(けさ)」ってなあに?


「袈裟(けさ)」というのは
お坊さんが身に着けているもので
左肩からかけているものです。


お坊さん

上の画像でいうと紫っぽい部分のものですね。

インドとかタイのお坊さんだと
オレンジっぽい色の袈裟をかけて肩を出しているイメージですが、
日本のお坊さんは下衣の上にまとっています。


もともとは出家して財産をもたなくなった僧侶が、
あまっている布を集めてつくるものだったのですが、
いまはお坊さんの位をあらわすなどの目的もあるそうです。

たしかにお坊さんといえば
あの袈裟をイメージしますね。
(だからこそ「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
なんて言われるようにもなったのかもしれませんが)


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なんでお坊さんが憎まれるの?


でも、現代において「お坊さん」に
そんな憎たらしいイメージがあるかというと
そうでもないです。

だいたいが、さっきのイラストのように
穏やかなおじいさんみたいな人を想像されるんじゃないかと思います。


まあこれは単なるイメージで
じっさいにはお坊さんだっていろんな人がいるでしょうから
なかには憎たらしい人だっているでしょうけど、

それでも職業として
「憎たらしい」印象がつよいのは
やはり役人とか、借金取りとかじゃないでしょうか。
すくなくともお坊さんではないように思います。


時代劇とかドラマを見ていると
よくこういった人たちが悪者あつかいされています。
「悪代官」みたいな言葉もありますし。
あと政治家とか教師もきらわれやすいですか。

こうやって考えると
借金取り以外はみんな役所関係というか
国とか公務員とかがやる仕事なので、
やはり「大きな権力をもつ」仕事がきらわれやすいのでしょう。


それがなんで
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となったかというと
むかし、江戸時代に
お坊さんが役所のような仕事をやっていたことがあって、
憎まれることが多かったからです。


それも、町の人たちの生活を管理したりなど
とにかく嫌われる仕事を担当していたうえ、
今と違ってお寺に権力があったので
えらそうにするお坊さんも多かったようです。

最近の感覚だと
「えらそうな態度の役所職員」
「横柄な警官」

といったところでしょうか。


そのためか、
三日坊主」とか
「なまぐさ坊主」とか
お坊さんにまつわることわざや慣用句は
なんだかイメージがよくないものが多いです。


まっとうに修行されているお坊さんからすれば
これだってとんだとばっちりですが、
ともかく「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」などのことわざができた背景には
このような事情があったようです。


注意することは


このことわざから、
気をつけないといけない点は
人の感情は意外といいかげんなものだ
ということですね。


算数が嫌いだから分度器も嫌い、
これぐらいだったら大した問題ではないと思いますが、

たとえば
エリートの人たちにからかわれたからスーツが嫌い
現場仕事の人にいじめられたから作業着が嫌い


みたいになってしまうと、
自分が本当に嫌いでないものまでいやになる、
それで自分自身の職業の選択がせばまったりするのは、
ちょっともったいないです。



あと自分が「袈裟」の立場、
つまりとばっちりを受ける側になる可能性もあります。

そろばん(というか最近は電卓?)、
をパチパチやっていていたら
「ちょっと勉強ができるからっていい気になるな!」
とか言われたり、

ヒールでかつかつ歩いているだけで
「仕事できるなんてうぬぼれるな!」
みたいなわけの分からない怒られかたをしたときも

もしかしたら相手側が
算数や仕事がきらいだからそろばんやヒールの音がきらい、みたいな
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
という状態におちいっているのかもしれません。


もちろん人間ですから
感情があるのは当然ですし、
「きらいなものはきらいだ!」
というのなら、それもしょうがないのかもしれません。

ただ、それでも
「なんで自分はこれが嫌いなんだ?」
というのは知っておいたほうが有利
です。

そのためにも、この
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという
ことわざの意味をおぼえておくと役に立ってくれます。


また、反対の意味のことわざには
あばたもえくぼ
というのがあります。

これは
「好きになったら悪いところも良く見える」
というもので、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは
「好き」と「嫌い」が反対なわけですが、

「人間の感情は他のものに影響される」
という意味では同じことを言っているので
やはりこういう人の好き嫌いの感覚には
気をつけたほうがいいのでしょう。

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