下手の考え休むに似たりの意味、間違えやすい言い方に注意
ぐずぐずと考えている人を見ると
つい言いたくなる言葉、
逆に誰かに言われたら要注意なのが
下手の考え休むに似たり
一瞬なんのことか分かりませんが
あまりいい意味ではなことは
なんとなく分かりますね。
皮肉をこめて言うことが多いですが
戒めとしても使うことができることわざです。
どういったことわざか
下手の考え休むに似たり
(へたのかんがえやすむににたり)とは
実力のない人、その道にくわしくない人が
いくら考えても大したことは思いつかないので
休んでいるのと同じようなもの、という意味です。
ようは、考えるだけムダということ。
まあ、ひどいことわざですね。
多くの場合、囲碁や将棋で
下手なのにさんざん考える人に向かって
冷ややかに放たれます。
もちろん考えることは大切なんですが
あまりにも長い時間考えても
しょうがないということですね。
自分では一生懸命、
いい手が見つかりそうだと考えている、
しかし、上手い人から見ると
結局たいした手になっていない、
こうった様子をさして
下手の考え休むに似たり、といいます。
実力が似通った人同士の場合、
一生懸命考えれば相手に勝つことができますが
相手のほうがはるかに上手い場合は
いくら考えても、なかなか勝てません。
それなのに、ひたすら考える
つまり、あんまり意味のない行為ということですね。
また、相手にしてみると
さんざん待たされるわりに
大した手を打ってこないから
退屈になってきます。
こういった場合に、うんざりしながら、
「下手の考え休むに似たり…」
と言うわけです。
皮肉をこめたり、
馬鹿にするような意味のあることわざですから
使い方には注意が必要ですが
「それ以上考えても下手の考え休むに似たりだから
まずは打ってみて、それから考えたほうが上達するよ」
という言い方をすれば、
そこまで嫌味にはならないでしょう。
囲碁や将棋以外でも
このことわざは
別に囲碁、将棋以外でも
どんな場面でも使うことができます。
あれこれ考えてばっかりで
いつまでも結論を出さず、
なんの行動もできない人に
「下手の考え休むに似たりというから
それ以上あれこれ考えるより、
とにかく経験を積んでいったほうがいい」
とか
必要以上にぐずぐず悩んでいる人に対して
「下手の考え休むに似たりだ、
そんなに悩んだってしょうがないよ」
といった具合ですね。
ただし注意するのは
先ほども同じようなことを述べた通り
ここでいう下手とは、未熟、知恵が足りない
ということなので
「お前のような知恵のない人間が
いくら考えても無駄」
という意味にもなるということです。
なので、
そういったことを言っても大丈夫なくらい
親しい間柄の相手や、
明らかに得意じゃないことを無理にやろうとしている
たとえば運動神経抜群だけど勉強は苦手な人が
算数の問題を必死になっているような場合、
「あなたの得意なことは他にあるので
こんなことで悩んでいるのはもったいないですよ」
といった意味で使うといいでしょう。
あるいは
「もっと実力がついてから改めて考えたほうがいい」
という意味ですね。
ともかく、このことわざは
使い方に注意です。
むやみやたらと言わないほうがいいでしょう。
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このような言い方もある?
また、下手の考え休むに如かず
(へたのかんがえやすむにしかず)
ということもあります。
これは、下手な人でも休んでいるよりはまし、
という意味に思われるかもしれませんが
そうではありません。
如かず(しかず)とは
及ばない、足りないということなので
下手な人が考えるのは
休んでいることにも及ばない、
つまり休んでいるほうがまし
ということになります。
なので
下手の考え休むに似たり、と同じ、
むしろより強い意味になっています。
また、下手な考え休むに似たり、
というのは間違いです。
「の」が「な」に変わっただけなので
どっちでもいいように思われるかもしれませんが
これだと
「下手なこと、余計なことをするぐらいなら
何もしないほうがまし」
といった意味になって
下手の考え休むに似たり
(実力のない人が考えても無駄)
とは、ちょっと違うことになります。
余計なことをしないほうがいい
という意味のものなら
藪をつついて蛇を出す(または藪蛇)
がありますので、こちらを使うといいでしょう。
いずれにしても
自分の実力の及ばないこと
手に負えないことは、あまり考えすぎず、
しっかり実力をつけるなり
誰かに教えてもらうなりしたほうが
いいということですね。
僕個人としては下手でも一生懸命考えることには
それなりに意味があると考えているので
このことわざはあんまり好きではないのですが
それでも明らかに無駄に考えるすぎるのを
戒める場合には必要なことですね。
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