事実は小説より奇なりの意味とそんなことがあるのかについて
この言葉を見ると
世の中を見る目が、すこし変わるような気がします。
事実は小説よりも奇なり(じじつはしょうせつよりもきなり)
ちょっと説明できないようなこと、
不思議な偶然にでくわしたときなどに
思わず言ってしまう言葉です。
その意味と由来について述べていきたいと思います。
どんな言葉?
事実は小説よりも奇なり
(じじつはしょうせつよりもきなり)とは、
世の中でおこることは、
小説などの作り話よりも不思議なことである、
という意味です。
たとえばこのような使い方ができそうです。
むかし、外国から恋人に手紙を書いたが、
その手紙は郵便局のミスでどこかに紛れてしまった。
帰国後、その恋人と結婚したが、
何年かあとに離婚の危機にみまわれた。
しかし偶然その手紙が見つかって届き、
ふたりは恋人時代を思い出した。
そして、ふたたびうまくいき、
ふたりはしあわせになった。
まさに事実は小説よりも奇なりである。
その手紙は郵便局のミスでどこかに紛れてしまった。
帰国後、その恋人と結婚したが、
何年かあとに離婚の危機にみまわれた。
しかし偶然その手紙が見つかって届き、
ふたりは恋人時代を思い出した。
そして、ふたたびうまくいき、
ふたりはしあわせになった。
まさに事実は小説よりも奇なりである。
そんな都合のいいことがあるものか、
という話かもしれませんが、
不思議な偶然はあると思います。
3回連続トイレで同じ人にあったりとか。
そんなとき、思わす言いたくなることわざですね。
あまりによくできた偶然は
小説や物語だとわざとらしくなるので
かえって起きなかったりします。
「せっかく勉強したのに
試験前に体調をくずしてしまって残念だ。
あと1日でいいから試験日がおそくなればいいのに!」
と思っていたら、台風で試験が延期になった。
こんな都合のいいことがあるなんて
まさに事実は小説よりも奇なりだ。
試験前に体調をくずしてしまって残念だ。
あと1日でいいから試験日がおそくなればいいのに!」
と思っていたら、台風で試験が延期になった。
こんな都合のいいことがあるなんて
まさに事実は小説よりも奇なりだ。
物語だと、こういう時は
困難にも負けずに乗りこえていくことが多く
こんな調子のいいことは、あんまりないですよね。
こういうことが実際に起きた場合も使えそうな言葉です。
でもほんとなの?
世の中には奇妙なことがあるものだ。
これはまあ「そうかもしれない」ぐらいは思うかもしれませんが、
それにしても事実は小説より奇なり、
つまり小説よりも不思議かと言われると
ほんとかよ、と思わなくもありません。
そりゃ現実だっていろんなことがありますが、
小説では人が宇宙に住んでいたり、
幽霊が出てきたり、魔法でびゃーとかなったりするわけで、
それより現実のほうが不思議なことが起こるなんて
あなた幼稚園児ですか? と思うかもしれません。
でもまあこれは、ことわざなので、
あまり言葉どおりの意味で考えるより、
現実に起きたことは小説以上にインパクトを感じる、
予想もできないことが起こるのは作り話よりむしろ現実、
などと考えるといいんじゃないかと思います。
たとえば小説で幽霊が出た話を聞くよりも
現実で夜中にシーツを幽霊とまちがえるほうが
ビクーっとなることもあります。
作り話だったらわざとらしいようなこと、
たとえばお店をやろうと思っていたら
ちょうどいい場所が空いた、
なんて話をじっさいに聞くこともあります。
こんな風にトントン拍子で
いろんなことが上手くいったり、
逆に失敗ばかりつづくのは
小説ではあんまりなくても
実際に起きることはありますので、
そういう意味でも事実は小説より奇なりと言えそうです。
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由来ともうひとつの意味?
このことわざは
イギリスの詩人であるバイロンによる
「ドン・ジュアン」という話に出てくるのが由来です。
ただ、この話にはっきりと
「事実は小説よりも奇なり」という文があるわけではなく
そこから何かしら変化があって、いまの意味になったようです。
では、もとの意味はというと、どうやら
「物語は作り話だからといって、
現実離れした、ありえないものではない」
という感じのようですね。
だいたいこんな感じ、ということなので
正確でなかったらすみませんが、
こういう意味だとすると、これはこれで味わい深いです。
たとえば有名なバスケットボールの漫画に
「スラムダンク」があります。
読んだことがあれば分かると思いますが、
この漫画は時間切れ寸前で大逆転など、
劇的なシーンが数多くあります。
読み出すととまらなくなりますね。おもしろい。
で、このスラムダンクの単行本にある
作者のコメントだったと思うのですが、
「こんな逆転劇ばかり続くなど現実ではありえないという人がいる、
しかし現実ではもっとすごいシーンがあるのです。
このようなことを書いてあったと思います。
フィクションだからといって
荒唐無稽な話とはかぎらない、ということですね。
ただ、これはあくまで由来ということなので
いま一般的にはこういった使い方はされていないです。
最初に述べた通り、辞書などでは
「事実は小説よりも奇なり」とは
現実は小説より不思議なことが起こる
という意味でのっていますので、その点は注意が必要です。
「も」はつくのか?
少し細かい話ですが、このことわざ、
事実は小説よりも奇なり(じじつはしょうせつよりもきなり)
事実は小説より奇なり(じじつはしょうせつよりきなり)
両方の書き方を見かけます。
「も」があるかないかの違いですね。
どっちだっていいじゃないか、
という話かもしれませんが、
まあこういうのは、決まり文句なわけですから
ちょっとでも違うと「あれ」となります。
ただ、このことわざは、
先ほど述べたように、外国の言葉を翻訳したものだからか、
どっちが正しくてどっちが間違いというのがはっきりしません。
そもそも「事実は小説より奇なり」という言葉自体、
外国由来で正確にはことわざといえるのか、という疑問もあります。
ただ、ちょくちょく耳にする言葉ですし、
ことわざ辞典にも載っていますので、
このまま定着していけば、
やはりことわざ、あるいは格言と
いって良くなるのではないかと思います。
まあ、本当に小説より不思議なこと、
たとえば地球の裏側で30年ぶりの友人にあったりしたときに、
「事実は小説よりも奇なりである」
なんて気の利いたセリフを悠長に言っている余裕なんてないというか、
じっさいには驚いて「おお!」とか「ああ!」ぐらいしか言えんだろ、
という気もしなくはないですが、
それでも落ち着いてから、この言葉をつぶやくと、
その意味がしみじみと実感できることと思います。
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個人的な印象ですが、感想でこの言葉が使われる場合は「小説化したら『こんな話リアリティがない』と大多数から言われるような現実の出来事」に対してという印象があります。
史実に忠実なほどリアリティがないという感想が出る、というのはどちらの意味でも「事実は小説より奇なり」と言える気もします。
そうですね、実際に起きた出来事よりも
よくできた小説のほうが現実味を感じることはありますし、
そんな場合にこの言葉を使うことが多いようにも感じます。
コメントありがとうございます。
参考にさせていただきました。