臥薪嘗胆の意味を知って苦難の日々に勇気を
ずっと順調な状況ばかりだといいのですが
人生なかなかそうはいかないもの。
つらい時期を過ごすことだってあります。
そんな時、知っていると
はげましになりそうな慣用句が
臥薪嘗胆
あんまり耳にしないかもしれませんが
困難の日々が訪れたときに備えて
意味と共に覚えておくとよさそうです。
こういう言葉です
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは
かたきを討つために、困難に耐えること、
また、何かの目的のために
苦労の日々を過ごす、という意味です。
昔の中国の故事から来ている言葉です。
由来となった漢文や現代語訳をのせると
とても長くなってしまうため、
要約して述べると、次のような話です。
今から2500年も前、紀元前6世紀の中国では
呉(ご)という国と、越(えつ)という国が
激しい戦いをしていた。
呉の王である闔閭(こうりょ)は
この戦いの傷がもとで死んでしまい、
その息子である夫差(ふさ)は
父のかたきを討つことを誓った。
そして彼は、薪の上で寝るようにして、
その時の体の痛みを覚え、
誓いを忘れないようにした。
やがて夫差は、越の王、勾践(こうせん)を
戦いで打ち破り、父の無念を晴らした。
一方、敗れた勾践は、この雪辱を晴らすため、
獣の胆を嘗めて、その苦味で
敗戦の屈辱を忘れないようにした。
長い苦難の末、勾践は力を盛り返し
夫差に戦いを挑んで勝利をおさめた。
つまり臥薪嘗胆は
堅い薪(まき)に臥(ふ)して寝る、
苦い胆(きも)を嘗(な)める、という
苦労の日々を過ごすという意味があります。
ここから、
目的を達成するために困難を重ねる場合、
「臥薪嘗胆の日々を過ごす」
といった使い方をします。
とても長い間耐え忍ぶことなので
一夜漬けや、1日2日の
短い間の苦労の場合には
この慣用句は使いません。
読み方がややこしく「がしょうしんたん」と
間違えて覚えてしまう人もいますが
正しくは「がしんしょうたん」です。
こういうのは一旦間違えて覚えてしまうと
なかなか直らないので、注意ですね。
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苦難の日々のはげましに
現代ではかたき討ちだ戦争だ
なんてことはないでしょう。
先程の故事も現代人の感覚からすると、
「そこまでして戦いたいのか?」
と思われるかもしれませんが
何かの目的のために大変な日々を過ごす時期は
いつの時代でもあるものですよね。
試験勉強もそうですし、
仕事などでもあるでしょう。
こんな時は嫌になることもあるでしょうから
「大変だ大変だ」とばかり言うより、
「臥薪嘗胆の苦労をしている」
などと言ったら、
目的のために頑張っているという
前向きな気持ちに切り替わりやすいです。
なんかかっこいいですしね。
それに苦労している時って、
自分だけ世界から置き去りにされたような
情けない気分になることがありますが
こういう場合も
「臥薪嘗胆の日々を過ごしているのだ!」
と言ってみれば
「昔の人だって苦労したものだ
自分だってがんばるよ!」
という気持ちになりやすいものです。
まあ、苦労の日々なんて
できれば味わいたくないもの。
ですが、
どうしても困難を避けては通れない場合、
どんなことでも自分を勇気づけるものが
あるとないとでは大違いです。
そんな時に、この臥薪嘗胆の意味、
それにまつわる故事を思い出すといいでしょう。
類語について
同じ意味の慣用句としては
座薪懸胆(ざしんけんたん)
越王之胆(えつおうのたん)
というものもあります。
まあ、同じというか、言い方が違うだけですね。
また、一度敗れたが再び盛り返すという意味では
捲土重来(けんどちょうらい)
という言葉もあります。
これもなかなかしぶいです。
ただ、実際には臥薪嘗胆のほうが
使う機会は多いかもしれません。
また、先ほどの故事の呉と越の戦いを
もとにした慣用句として
呉越同舟(ごえつどうしゅう)
会稽の恥(かいけいのはじ)
といったものもあります。
これらは意味は違いますが
いかにこの戦いが激しかったかが分かるものです。
こういった故事や慣用句を知って
一体なんになるのか、
と思われるかもしれませんが
本当に苦しい時期には
知っていると案外違いがあるものですからね。
知っていて損はないでしょう。
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